周りを見ないで約束に頼る


<fms様>
異端宣告ですか・・・

ここでよく話題になる山谷氏の掲示板ですが、「ついにスコットランドの改革長老教会は再建主義者に異端宣告をした」ようですね。

このあたりになると、私にはよくわからない領域です。

これからのキリスト教世界の動向には興味がありますね。

しかし、問題は、こういった神学論議に熱中している人々がいる反面、そういったことに全然無関心な世俗的勢力があり、それが多数派だということですね。

彼らの深刻な神学議論を見て、世俗的な人々は、ますます宗教的無関心を募らせるのではないでしょうか?

今、アメリカでは多くのキリスト教会が衰退しているというのに、何故か最近、ユニテリアン派が教勢を伸ばしているという記事を読んだことがあります。

世俗的な人々が宗教的になろうとすると、ユニテリアン的になるのでしょうか?

自由主義的なユニテリアン神学は、世俗の人々の好みに合っているのでしょう。

fms

<tomi>

異端と宣告するからには理由が必要ですが、山谷氏にもスコットランド長老教会にも、理由などありません。

理由があれば、ちゃんと示すことができるはずですが、問題をはぐらかしてきちんと対応しないのです。

この世の人々が宗教論議に無関心なのは、ものごとの本質に触れたがらないからです。本当は、宗教が人間の中心的な問題であることを心の中で知っています。

これは、まだ純粋な気持ちが残っている10代の頃に「人間ってなぜ生きているの?」という疑問を発することをみても分かります。

30、40代の男性と話してみて思うのは、男性は仕事をしている中で、社会問題、人生問題についてよくものを考えています。だから、ある意味において宗教的な関心は高いと思います。しかし、日本の精神風土はそういったものを話題として取り上げることを避けるし、また、正しいことが見えても、それを圧殺するような心が働きます。

もし本当に素になれるならば、聖書が言っていることに反対できるわけがありませんし、私が言っていることも当然として受け取れるはずです。

何かが邪魔しているのです。

山谷氏も、ス長老教会も、世俗の人々も。

それはおっしゃるように「好み」なのです。

自分の「好きなような教えを信じたい」という心が、真理を圧殺します。

真理はそれ自体で絶対的な強さがありますから、世の中の人が、ス長老教会が何を言おうと、山谷さんが何を言おうと、真理に逆らうことはできません。

この歴史の過程に一番関心があるのは神ご自身なのですから、どんなに世間が逆のほうを向いていても、神は少数の人を残して真理を与え、それを拡大させるように仕向けられます。

問題は、人間が何を考えているか、ではなく、神の計画は何か、ということです。

周りのことは見ないで、ただ聖書の約束に信頼して歩むことだと思います。

 

 

2004年6月20日

 

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