再建主義批判のサイト(米)への応答10


<RNCI>

再建主義信仰の体系の中心にあるのが、ポスト・ミレ終末論である。ポスト・ミレ論者は「キリストは千年王国の後に再臨する」と信じている。「創造において、神はアダムに対し、文化命令または統治命令をお与えになった。神の代理者として、地を従え、地上に神の御国を打ち立てよとの命令を受けた(創世記1・28)」と。この命令は、アダムと彼の子孫に与えられた永遠に有効な契約であった。イスラエルと異邦人は、アダムが失敗したように、この契約の命令を守ることに失敗した。再建主義者によれば、初臨の際にイエスはモーセ律法を「社会とクリスチャンの生活の規則として、完全に確立・回復した」(マタイ5・17-19)。

代償的死、復活、昇天を通じて、キリストはサタンと悪霊を決定的に打ち負かし、縛り付けられた。これにより、彼らは世界を支配することができなくなった。彼らは世界で活動しているが、彼らの活動は制限されている。社会のすべての局面、すべての民族、全地は、歴史の終末までにキリストの支配に服するようになるだろう。その時、神の御国は地上において完全に、決定的に確立され、キリストは御国を受けるために最後の日に再臨される。神はイスラエルをその契約的地位から完全かつ永遠に除かれた。イスラエルは、ひとつの民族としてはけっして前の契約的地位に戻ることはないだろう。神は、未来においてイスラエルのために特別なプログラムはまったく用意しておられない。神はイスラエルの代わりに、ご自身の契約の民として新しいグループを用意された。この新しいグループとは、教会である。教会は、新しい「霊的な」イスラエルである。教会も、民族的イスラエルに与えられた神の未来の約束をすべて所有している。

<tomi>

ほぼ正しい理解である。

(1)
「地を従えよ」との命令は、洪水後のノアに再度与えられた。しかし、人間全般が堕落して、神に逆らい、自分の主権を求めるようになると(バベルの塔)、神はアブラハムを選んで、特別にこの使命の遂行のために彼からご自分の民を起こすことを選択された。

それゆえ、たしかに地の支配の命令は、「イスラエルと異邦人」に与えられたとは言えるが、異邦人は堕落し、異なる神を拝んで、逆らっていたわけであるから、実質的に、アブラハム以降、彼らに地の支配の命令が与えられたとは言えないのである。

地の支配の命令は、イスラエルに与えられた。イスラエルは、パレスチナの土地を管理しなければならなかった。そこを、エデンの園として、神の王国として守り、統治しなければならなかった。

しかし、彼らはこれに失敗し、罪を犯したので、追い出され、アッシリアとバビロンにつれていかれた。

回復した後でも彼らは罪を犯し、神ではなく自分の王国を作ろうとし、御子をも十字架につけて殺したので、ついに裁かれて、紀元70年に完全にパレスチナから追放された。

(2)
「神はイスラエルをその契約的地位から完全かつ永遠に除かれた。イスラエルは、ひとつの民族としてはけっして前の契約的地位に戻ることはないだろう。神は、未来においてイスラエルのために特別なプログラムはまったく用意しておられない。神はイスラエルの代わりに、ご自身の契約の民として新しいグループを用意された。この新しいグループとは、教会である。」

これは、置換神学である。イスラエルを完全に廃棄されたとし、教会をそれに代わる「御民」とする教えである。

しかし、聖書は、イスラエルを「契約的地位から完全かつ永遠に除かれた」ものとは見ていない。

「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」(ルカ21・24)

これは、「イスラエルの終末預言」である。マタイ24章の平行記事である。ということは、「剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ」るというのは、紀元70年のユダヤ戦争とその敗北、パレスチナからの追放を意味していることは明らかである。

イエスは、ここで「このような災難は、異邦人の時の終わるまでである」と述べておられる。ということは、紀元70年から異邦人の時になったということである。そして、その時が終わるまで「エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」のである。

これは、「エルサレムはイスラエルに回復される」ということを前提としている。イスラエルと異邦人の区別はその時まで続くということ、そして、イスラエルは契約の民として存続し続けるということを意味している。

再建主義の中でも置換神学を取るグループと、取らないグループがあるので、注意が必要である。

 

 

2006年2月23日

 

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