人間王国を作るクリスチャンのグループにいてもしょうがない
福音派の教会を辞職した際に、ある信徒からこう言われた。
「一度辞めると、そういう眼で見られますよ」と。
たしかに、事実である。
過去の履歴はついて回る。しかし、私の側では罪は一切犯していないのだから、気にしない。
それに、福音派からどう見られてもどうでもいいことである。
今ディスペンセーショナリズムと教会成長学という異端に犯された福音派にどう見られようが関係ない。
私を追い出した牧師は、執拗に私の行く先に電話をかけて私の中傷を流している。
私が記事を書いた雑誌のある出版社からそういう事実があったことを聞いた。
これがクリスチャンのやることだろうか?
どうしてこんな人尊敬できる?
なぜ正々堂々と対論しないの?噂を流して社会的に相手を追い出そうとするなどヤクザのすることだ。
こういった事実を見ると、彼らリーダーたちは、自分の王国を築きたいのだろうと思う。
神の国なんて関係ない。自分が栄光を受け、自分の御心が通る王国を作りたいと。
相手にならない。幼稚すぎる。
福音派がどんどん衰退しているのも無理はない。
我々は滅び行くグループにおいて自分を腐らせながらうまくやっていくことを考えるのではなく、新しいグループを作ってすがすがしい気持ちで自由を得たほうがよい。
2008年9月6日
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