日本人のための礼拝改革
<K様>
エデンの園は日本にあった?の文中に
「日本人にふさわしい礼拝の方法を考えなければならないと思います。」
と書かれており、私も同感です。
以前在籍していた教会や、聖会と称する集まりなどで歌われる
アメリカ産の賛美歌(ワーシップソング)に違和感を感じていました。
そして、決まったように、盛り上げるためか、何度も同じ歌詞の部分を歌うのです。
無理して雰囲気を作っているとしか思えません。
司会者が「神の臨在」を強調して、集まった人々に同意を求めます。
マインドコントロールそのもの。
日本人にふさわしいセム系の礼拝ならば、多くの日本人は感動するでしょう。
心の奥底に真贋を見極めるものが、きっと日本人にはあると思います。
<tomi>
私も、何度も歌わせるという方法に違和感を覚えます。
盛り上げるため?
何を盛り上げるのでしょうか。
新興宗教と同じ人為的なもの、マインドコントロールを感じてしまいます。
ビリー・グラハム大会で、人々が高揚して決心者をたくさん出そうと、音楽やらいろんなものを動員しました。
サクラまで使って、前に進み出たりしました。
そんなことで「回心」するのでしょうか?
私は、すべては選びであると思います。
そして、それは、感動とか人間の涙とか、そういったものとまったく無関係に、「ただ神の一存で」決まるものです。
選びがあれば、回心するし、選びがなければ回心しません。
そのようなことをやったビリー・グラハム自身が棄教してしまいました。
リバイバル運動によって、キリスト教はいびつな形に変形した。
セム系キリスト教とはまったくこのような浅薄なものではないでしょう。
アメリカのリバイバル宗教は神を馬鹿にしているように見えます。
理想を言えば、神道がはっきりと三位一体の聖書の神を表明し、キリストを唯一の救い主として公的に認め、神社がそっくり変われば素晴らしいと思います。
礼拝の形式にほとんど変化を加えない。
もちろん、おみくじとか、絵馬とか、初日の出を拝むとかそういった呪術的なもの、異教的なものを除いてです。
そうすれば、日本人は、これまで元旦に初詣に行き、七五三で宮もうでしていたのをそのままスライドしてクリスチャンになります。
日本人を今の形のいびつなキリスト教に加えるというのは、まず不可能でしょう。
呼び込むならば、まず教会側が、自己批判して、正しい道に帰る必要があります。
2008年12月8日
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