悪の陰謀が成就しないために祈って欲しい


ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレを信じ、大患難の前に(もしくは途中か後に)携挙があると信じているクリスチャンのみなさん!

このディスペンセーショナリズムのプレ・ミレという教えは、サタンの世界的人減らし、クリスチャンの大虐殺を祈りによって妨害させないために作られた教えだということに気づいてください。

サタンは、我々が祈ることを一番恐れている。

サタンは、我々が世界の王だということを知っている。


しかし、あなたがたは、・・・王である祭司・・・です。・・・(1ペテロ2・9)

そして、自分はすでに敗軍の捕虜として武装解除されているということも知っている。

神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(コロサイ2・15)

サタンは我々に勝てない。

・・・ハデスの門もそれ(教会)には打ち勝てません。(マタイ16・18)
そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らに・・・悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。(マルコ3・14-15)
なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(1ヨハネ5・4-5)

ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレの「この教会時代にサタンに対抗することは不可能だ」という教えは、サタンに由来する。

クリスチャンは信仰がない限り、ただの人になる。

たとえ日本の首相になって権力を手に入れたとしても、自分が首相であることを自覚しない限り、それを実行できないのと同じように、自分にものすごい権力があるということを自覚しない限り、そのパワーは封印されたままだ。

先の聖句にあるように、クリスチャンは、祭司である。

世界を和解させるためにとりなしの祈りをしなければならない。

そうしないと、世界は悪者によって乗っ取られる。

ノンクリスチャンは陰謀を明らかにできるが、対抗手段をもたないためにただ眺めているだけだ。

しかし、我々にはパワーがある。

祈りという最高のパワーがある。

どうか世界のためにとりなしの祈りをして欲しい。

悪の陰謀が成就しないために祈って欲しい。

 

 

2007年9月16日

 

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