人間のファンになるな
我々は誰のファンにもなってはならない。
ファンという言葉の定義にもよるが、ファンには偶像礼拝がつきまとう。
日本の教会は、ファンによって成り立っている。
人々は、教えに集まるのではなく、人間に集まる。
「○○先生の教会」という言葉がよく出てくる。
人間は、弱いので、人間に頼ろうとする性質がある。
しかし、人間に頼るということは、人間に支配されるということを意味する。
だから、その人は、神の支配からもれることになる。
「御言葉は何を言っているのか?」という基準で教会を選ぶのではなく、「ここの牧師は誰か?」で選ぶ。
自分の信仰を鍛えて、孤独に耐え、神にのみ信頼するという訓練をつまないかぎり、我々は一生独立者にはなれない。
人間に頼る集団は、異常な集団であり、「気持ち悪い」集団である。
依存することに慣れると、たしかに楽だが、本当に試練に打ち勝てる信仰を身に付けることはできない。
情に頼る人間がいくら集まっても神の国の力にはならない。
無数の苦難を乗り越える覚悟がない人間が神の国を作ったためしはない。
日本のキリスト教の常識を捨てない限り、神の国の建設者になることは不可能だ。
2007年5月19日
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