聖書法を社会福祉に適用するならば
社会主義の福祉は、国に所得再分配の機能を与えるものであるが、これは腐敗と無駄を生む。
聖書が教えるセーフティネットのシステムには、「落穂拾い」と「畑において手で自由に実を摘む」がある。
律法では収穫の十分の一を貧困者のために残さねばならなかった。また、貧困者や飢えた人々は、畑に自由に入って手で実を摘むことができた。籠を使うことは禁止されていた。
これを現代世界に適用するならば、国民に収入の90%を自分で取った後に、一律10%の相互扶助金を口座に残すことを義務付け、それを一定額(生活に必要な最低額だけ)貧困者が自由に引き出せるシステムにすればよいと思う。そうすれば飢えの問題は起きない。
また、コンビニなど、食品でまだ食べられる賞味期限ぎりぎりの商品を別枠に移して、それを生活保護を受ける資格のある人々が自由に取って食べることができるシステムを作ればよいと思う。
まあ、これは私の案だから最終意見と考えないでいただきたい。
しかし、今の社会主義の福祉制度だとあまりにも無駄が多く、腐敗の温床となっている。
国は、聖書において「義の僕」であり、正義に関する問題に集中し、取ることができる税金の割合を10%未満に限定すべきだ。
それすれば、企業にこれまで加えられてきた足かせ手かせが取り除かれ、日本の企業は大きく発展する。
役人が自分の知恵によって配分するシステムではあまりにも非効率だ。
2009年9月12日
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