解釈的最大主義


デイビッド・チルトンによると、著名な牧師にして著者であるジェームズ・ジョーダンが、「解釈的最大主義(Interpretive Maximalism)」という解釈法を提唱している(D. Chilton, The Days of Vengeance, Dominion Press, p.36-39.)。

ジェームズ・ジョーダン自身は、自分は「解釈的最大主義」を唱えたことも、自分自身を「解釈的最大主義者」であると主張したこともないと述べている。
この解釈法は、象徴表現を尊重する方法で、教会教父たちも採用し、特別な名前をつけるほど新しい解釈法ではないから、と。
http://www.biblicalhorizons.com/bh/bh009.htm

啓蒙主義以降、福音的な人々も含めて解釈者たちは「解釈的最小主義」を採用してきた。

聖書を正しく解釈するには、「解釈的最大主義」を回復しなければならない。

解釈的最大主義の好例は士師記9・53である。

「そのとき、ひとりの女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。」

これを、従来の「解釈的最小主義」で解釈すると、「女がアビメレクを殺した」という意味にしかならない。

この個所にはもっと重要な意味が含まれている。それをくみ取るには、象徴を理解しなければならない。

「女」が独裁者の「頭」を砕いた。これは創世記3・15から、キリストによるサタンへの勝利を予表していることが分かる。

「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」


ちなみに、士師記4・21にも同じような表現がある。

「だが、ヘベルの妻ヤエルは天幕の鉄のくいを取ると、手に槌を持ってそっと彼のところへ近づき、彼のこめかみに鉄のくいを打ち込んで地に刺し通した。彼は疲れていたので、熟睡していた。こうして彼は死んだ。」


また、悪人を「石」で殺すという表現も、神が指示された、神の敵・犯罪者・サタン的支配者の処刑方法である。

「彼を石で打ちなさい。彼は死ななければならない。彼は、エジプトの地、奴隷の家からあなたを連れ出したあなたの神、主から、あなたを迷い出させようとしたからである。」(申命記13・10。士師9・5、サムエル17・49、ダニエル2・34、マタイ21・44)

さらに、「ひき臼」で殺すという表現は、労働と倹約によって富を蓄積し、高圧的支配を行う独裁政権を打ち砕くという聖書的方法を象徴している(D. Chilton, The Days of Vengeance, Dominion Press, p.39.)。

旧約聖書のすべては重要であり、それらはキリストを指し示している。物語や記事の主題に関わるものだけではなく、細部の表現すべてが神の霊感によるものであり、それゆえに、注意に値する。

聖書の細部の表現を注意深く読み取り、そこにキリストを見つけていく解釈の方法はけっして新しい方法ではなく伝統的な方法である。

ジェームズ・ジョーダンは、次のように述べている。
「私の教師たちのほとんどがそうであるように、私も文法的歴史的解釈『法』は、聖書神学的考察によって補完される必要があると考えており、それこそが著書の中において私が求めてきたことなのである。」(同上)

信仰的な人々がなぜ木の下にいたと記されているのか。

3人の使いが現われた時に、アブラハムはなぜ木のそばにいたのか。

「主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現われた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。」(創世記18・1-2)

イエスはなぜナタナエルが木の下にいたといわれたのか。
「ナタナエルはイエスに言った。『どうして私をご存じなのですか。』イエスは言われた。『わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。』」(ヨハネ1・48)

解釈的最小主義者は、木というディーテイルを無視するだろう。
しかし、解釈的最大主義者は、聖書のどのような細部も神の啓示の一部と見るから、それに意味を見出そうとする。

聖書象徴学において、木は命の象徴である。イスラエルは、いちじくの木に例えられており、イエスがいちじくの木を呪われ、枯らしてしまわれたのは、イスラエルがもはや命を失っており、滅亡にふさわしい状態にあることを示すためであった。

信仰者が木のかたわらにいると記されている場合、その信仰者が神の命、祝福を受けるにふさわしい存在であることを象徴している。

聖書象徴学において、海は、落ち着かないもの、基盤がないものを表し、それゆえ、異邦人を象徴している。

それに対して、陸は、信仰という基盤を持つしっかりとしたもの、それゆえ、イスラエル、クリスチャンを象徴している。

陸は海から分けられて出現し、そこにエデンと、園が作られた。

それゆえ、陸は3つの階層(陸−エデン−園)に分けられる。

これは、ノアの箱舟の3階構造と対応している。ノアの箱舟は3階からなり、それは世界を象徴しているという(メレディス・クライン)。

最上階は天を、中階は地を、下階は地中を。これらは、幕屋において、それぞれ、至聖所、聖所、幕内に対応する。外の海は、異邦人の世界、つまり、滅びの世界であり、幕の外と対応する。

ジェームズ・ジョーダンが著したThrough New Eyes という本は、これらの象徴について解説した書物であり、非常に重要である。

聖書において啓示されている世界について、解釈的最小主義では理解できない豊かな世界がそこには広がっている。

 

 

2005年1月16日

 

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