安易に福音伝道者のメッセージにノーと言うべきではない


ある伝道者が真剣になって福音を伝えているのを迷惑に思うクリスチャンって一体なんだ?

時間を割いて、労力を使って仕事をしている。

「レイマンは、自分の代わりに労してくださっている。感謝です。」というのが当然だろう。

それとも「あいつは勝手にやっている。迷惑なことだ」とでも言うか。

じゃあ、どこが迷惑なことをやっているのか。

仮に私が聖書から外れたことをしているならば、迷惑と感じてもらってもかまわない。

そうじゃなければ、どうして迷惑なのか。

もしかして、「自分の思想と合わないから」という理由でか?

それじゃあ、自分の思想を聖書の上に位置付けているから、

あ・な・た・は・ク・リ・ス・チ・ャ・ン・で・は・あ・り・ま・せ・ん。

「いや、自分の思想ではなく、聖書と矛盾していることをあなたはやっている」というか。

ならば、どこがどのように聖書と矛盾しているか説明しなさい。

聖書から説明できないならば、あなたは御言葉を語る者を拒んでいることになる。

御言葉を伝える者を拒む者は、御言葉を語られた神を拒むのと同じである。


あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。(ルカ10・16)

福音伝道者を邪険にしたり、拒んだり、迫害したり、無視する者は、イエスに対してそのようにしているのだ。

安易に福音伝道者のメッセージにノーと言うべきではない。

 

 

2008年6月29日

 

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