サタンに対抗できる唯一の終末論を持つのは我々以外にはない


すでに見たように、世界で陰謀をたくらむ人々は、聖書と密接に関係している。

だから、聖書の知識がなければ陰謀を理解することはできない。

世の陰謀論研究家たちが、現在進行している陰謀の本質を理解できないのは、霊的な視点が欠けているからだ。

陰謀の基本中の基本は、「霊的闘い」である。

神とサタンの戦い。

これが中心となって世界史は進行している。

この本質を理解できなければ、どんなに社会的な事象を分析しても、実態が見えてこない。

経済的な現象とか政治的な現象をいかに分析しても、本質は見えてこない。

もっともっと奥が深いのだ。

聖書の知識と霊的知識がなければ、陰謀論の本質はわからない。

では、クリスチャンならば、正しく陰謀を理解できるかというとそうではない。

なぜならば、クリスチャン自身、敵によって教育されてきたので、事態を正しく解釈できないからだ。

たとえば、「獣に乗る大淫婦」とグーグルすると、出てくるのは、「獣とはイギリスのウィリアム王子だ」とか、「ヨーロッパ共同体こそ再生されたローマだ」とかである。

つまり、「終末が近い」「黙示録のとおりに物事は終末に向かって動いている」というようなディスペンセーショナリズムの解釈に従っている。

今ほとんどのクリスチャンが信じている「これから大患難時代がやってきてクリスチャンの営為はすべて破滅する」という解釈は、敵がばら撒いた教えなのだ。

黙示録は未来に関する預言であるというのは、イルミナティに支援されたダービーやスコフィールドの教えである。

そこまで計算済みなのだ。

クリスチャンは、敵の騙しの中にいることに気づかない。

だから、抵抗勢力にならないのだ。

クリスチャンは、ディスペンセーショナリズムを通じて、サタンによって縛られている。

信仰の武器である祈りと御言葉を使って彼らの計画を粉砕することができない。

「黙示録は成就しなければならないわけだから、破局は避けられない。祈っても無駄である。」とあきらめている。

敵は、99%のクリスチャンの無能化に成功した。

だから、我々の働きがきわめて重要な意味を持っているのだ。

我々、ポスト・ミレの信仰に立ち、プレテリズムの立場(黙示録はイスラエルの終末に関する教えで、19章までは紀元70年に終わっているとする立場)から黙示録を解釈しない限り、敵の術中にはまって身動きが取れなくなる。

サタンに対抗できる唯一の終末論を持つのは、我々以外にはない。

だから、我々の働きが霊的・経済的に支えられるように祈ってほしい。

 

 

2010年8月27日

 

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