死んだクリスチャンが我々の世界に現れることは絶対にない?


召された(亡くなった)クリスチャンに体がなければ、恐ろしいことになる。


すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都にはいって多くの人に現われた。(マタイ27・51-53)

ここで、旧約時代の契約の民が復活したと書いてある。

もし彼らに体がないとすると、ここで与えられた体は死んだのか?

復活した体は死ぬのか????

復活体は、絶対に死なない!!!

これは、キリスト教教理において、基本中の基本だ。

我々は永遠の体によみがえるのである。

では、これらの体を与えられ、イエスの復活後にエルサレムに現れた人々は今一体どこにいるのだろうか。

天である。

天には、復活体のキリストだけではなく、復活体のクリスチャンがたくさんいる。

我々が地上で聖餐式を持つ際に、我々はキリストとだけではなく、これらの復活体のクリスチャンとも同じ食卓についているのである。

教会はキリストの体であるから、我々はキリストにあって一人である。

「すでに復活があったと騒いでいる」人々をパウロは批判したが、どういうことだろうか。

それは、紀元70年にまだなっていなかったからである。

紀元70年に2テサロニケの携挙が起こった。

そして、旧約のすべての聖徒たちに体が与えられ、キリストとともに永遠の世界に入った。

キリストに体があるので、それ以降、すべての聖徒に、死後体が与えられる。

彼らは、我々と違う次元にいるのかもしれないが、我々の次元に現れないわけではない。

霊眼が開けたステパノは復活体のキリストを見た。

仮に「死んだクリスチャンは絶対に我々の間に現れない」とするならば、証拠を示して欲しい。

しかし、聖書は、はっきりと「復活体のイエスが、弟子たちの間に現れた」と証言している。

先の箇所において、復活体のクリスチャンたちがエルサレムに現れたと書いてある。

「いやぁ、あれは聖書の時代の話でしょう?」というだろうか。

繰り返すが、「聖書の時代に起きたことは今は起きない」ということを証明する箇所を提示して欲しい。

聖書のどこにそんなことが書いてあるだろうか。

「昔奇跡は起こったが、今は起こらない」と書いてある箇所はどこか。

ない。

そんな箇所はない。

とすれば、「亡くなって、今は体を与えられているクリスチャンが我々の間に現れないということは絶対にない」という根拠もない。

 

 

2008年7月7日

 

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