明るい言葉を口にしよう
長者番付が発表された。全国一位になったある健康食品の会社社長がテレビに向かって社員と「ついてる、ついてる…」と唱和していた。
これは一種の自己暗示の方法で、新興宗教などがよく使う手である。肯定的な明るい言葉を繰り返すことによって自分を励まし、元気が出てくる心理効果を期待しているのだ。
常日頃から肯定的な言葉を発するのは確かに重要である。
自分で前向きな言葉を出していることによって、次第に知らず知らずのうちに元気が出てくる。
世界は言葉によって生まれたと聖書は記している。言葉は人間にとって非常に重要である。
日本には言霊信仰がある。言葉に霊が宿るというのだ。私は、これは正しいと思う。言葉は単に物理的な現象ではなく、常に霊がそれに伴って作用するように思える。
聖書において名前を知ることはその名前の持ち主を捕らえることと考えられている。イエスは悪霊に取りつかれた人から追い出しを行うさいに、名前を聞いている。悪霊は「レギオン」という名であった。イエスはその名を呼んで悪霊を追い出した。
だから、第三戒で神の名をみだりに唱えることが禁止されているのだ。名前を呼ぶことは、その対象を利用することだから。神を敬う目的で名前を呼ぶことは間違いではないが、神を利己的な動機で利用するために名前を呼ぶことは禁止されているのだ。
私は、言葉には必ず何らかの霊が働くと思う。悲観的な言葉を常日頃から発している人はその言葉によって自己暗示をかけるだけではなく、文字通りその言葉を利用する悪魔によって悪い状態に引きずり込まれるように思われる。
聖書は、神の名が発せられるところに神もおられると教えている。神殿は御名が住まわれる所である。
「主はイスラエルの賛美の中にお住まいになる。」
ということは、悪魔の名を発するところに悪魔もいるのではないか。
言葉は非常に重要である。悲観的な言葉を発したときに、それに乗じて悪魔は恐れの霊や絶望の霊などを入れてくる。悲観的で不信仰な言葉を発する人は悪魔の餌食になる。
自殺サイトにはそのような悲観的な言葉があふれている。明らかに霊に捕らえられている人の集まりである。霊に捕らえられると、どんどんと死の方向にひきずり込まれる。脱出が難しくなり、それ以外の選択肢がなくなる。自殺は甘美な誘惑になる。
自殺はけっして幸せを与えない。永遠の後悔の世界が待っている。なぜならば、自分で自分の命をコントロールすることは究極の傲慢だからだ。我々にとって生きるということは選択の余地のない義務である。そして、神は生きようとする人を必ず助けてくださる。
だから、自殺する人々は、けっして苦しさのあまりやむにやまれず、という理由からではない。神は耐えられない苦悩を与えられないからだ。自殺者は、死をあえて選び取ったのである。
悲観的な考えに捕らえられている人も同じである。彼らはそれを選び取ったがゆえに罪が重い。
復活の主がおられ、死をも克服され、征服された主がいらっしゃるのだから、我々は命を選びとるべきだ。そして、この人生を勝利の人生と考えるべきだ。
いつも肯定的な言葉を口から出すようにしよう。できると考えるようにしよう。そうすればサタンは近づかない。
これから大艱難時代がやってきて、クリスチャンに対する大迫害が起こり、世界は反キリストによって支配される、という教えを唱える時に、サタンは喜んでいるということを知ろう。
2004年5月18日
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