原爆開発と日本


http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana150.htmに非常に興味深い記事があったのでご紹介する。

原爆開発の端緒となる素粒子の理論を作ったのは日本人であった。


 しかも彦坂忠義さん達の話は、当時のアインシュタイン博士やオッペンハイマー、ボーアなどの欧米の一流科学者達もまだ到達していなかった、原子核内部の正確な構造もすでに分かっていました。

 彦坂忠義さん達は、欧米よりも早く、原子核内の内部構造を正しく掴み、いずれそこから引き出されるだろう、巨大な破壊エネルギー、核兵器が誕生する事も予測していたといいます。

 何とその核エネルギーをどう制御し、防止し、無力化していくか、そんな現在でも解決されていない問題を、仙台の町を歩きながら、熱く語っていたというのです。

・・・

 彦坂忠義さん以外にも、皆さんもご存知な、戦後すぐにノーベル賞を受賞した、湯川秀樹さんや朝永振一郎さんの研究や、こうした人達を一時徹底的にコーチした荒勝文策博士などによって、日本の物理学のレベルは、相当進んでいたというのです。

 特にあまり知られていませんが、荒勝文策博士は、日本の領土の台湾で、原子破壊の実験にあえて挑んで成功させています。

 後の本格的なサイクロトロン(粒子加速器)の製作にもつながる重要な第1歩を歩いているのです。

 だから日本の物理学は、欧米にも決して負けていなかったと、五島勉さんは断言しました。

 日本は経済や政治・社会がどん底の危機に落ちた時、明治維新の例からいっても、思いもよらぬ危機を跳ね返す新しい力や世界を超える頭脳を生み出せる土壇場再生型の力のある国だといっていましたが、紫陽花もそう思うのです。

 しかし残念ながら、そんな日本の若き頭脳は、もう一つの日本の悪い習性が出て、実る事はありませんでした。

 彦坂忠義さんの研究にしろ、他の日本の物理学者の研究にしろ、世界恐慌と軍国主義の始まりが重なって、見向きもされなかったそうです。

 特に、彦坂忠義さんなどは、研究室に机を与えられただけで、何の研究費も貰えずに、自分の頭脳だけで、陽子と中性子が強い未知の力で引き合いながら、階層的なポジションを取って存在するという、その当時第一人者と言われていたボーアも及ばない事を見抜いているのです。

それをもう少し皆さんに分かり易く書くと「陽子と中性子が原子核内ではっきり分かれ、しかもその間に、宇宙最大のエネルギーが潜んでいる。だから人類は、それを悪用せずに制御しなければならない」という事まで理解して研究していたというのですが、日本の学界や経済界は、そんな彦坂忠義さんの研究を認めようとはしなかったのです。

同じ日本人の基礎研究は決して認めようとはせず、欧米が認められて慌てて、認めるという日本の学会の、トップの悲しい習性が出たのです。

ですから彦坂忠義さんは、そんな自分の研究を理解しようともしない日本の物理学の学会に失望すると、同じ東北大学の研究者の勧めで、米国の物理学会専門誌「フィジカル・レヴュー」に、「原子核エネルギー(利用)新法に就いて」という論文まで送っています。

よくあるパタンですが、日本から離れて海外に目を向けたのです。

だけどその論文は、「フィジカル・レヴェー」や、来日したボーア博士に会って話をしても認められなかったそうです。

その当時、学問的には極東の一小国にすぎない日本の、一介の若者の時流に反した説だけに無視されたそうですが、それで彦坂忠義さんは、日本の学界でも一生認められる事はなくて、苦難の人生を送ったわけなのです

だけど紫陽花は、五島さんの文章を読んでいる内に、そんなふうにした米国の「フィジカル・レヴェー」やボーア博士よりも、日本の学界のトップには、本当に頭にきました。

同じ日本人として、日本の学界の現状は、今も封鎖的で、どれだけ多くの才能ある人達が、認められずにこの世を去っているかと思うと悲しかったのです。

しかし五島勉さんは、日本の学会も悪いけど、米国の学会にも大きな疑惑があるといいます。

欧米の学会は、日本の彦坂忠義教授の画期的な原子核理論を無視し、嘲笑っておきながら、実はその論文のすばらしさを認め、盗んでいた形式があるからです。

それが証拠に、彦坂忠義さんの論文が出てから、急速に欧米の学会で理由もなしに、ボーア離れが起きています。

ボーア教授の理論「陽子と中性子は分かれずに一体になって、ごく小さな液滴の形に似た原子核を作っている」では核爆発が起こるはずがなく、欧米はそれをあっさり捨てると、密かに彦坂理論を受け入れると、一気に原子爆弾の開発競争に走ったというのです。

五島勉さんはその事に対して、とことん追求していくと世界の原子物理学だけでなく、今までの日米関係とか白人の優位性さえも根本的に、ひっくり返してしまう疑惑だと書いていますが、紫陽花はその可能性もないとはいえないと思います。

英国やドイツ、米国などの、白人の国家の科学者は、白人同士で密かに結んでおり、日本人など他の民族の、科学者の研究を今もマークしているのかもしれないのです。

と同時に、五島勉さんはその後、欧米は狂ったように、核エネルギーの爆発に研究を勧めている中で、日本の彦坂さんや湯川さんは、その核エネルギーの爆発をどうやって制御化し、無力化するかという研究をしていたかという日本と欧米の考え方の違いも教えてくれました。

湯川秀樹教授がノーベル賞を取った後、核兵器を亡くす平和運動をしていた事は知られていますが、彦坂博士は、まったく安全原子炉の開発をして、平和利用の道を探っていたというのです。

というのも原爆を作る時も原発を動く時も、原子内部が不安定で壊れやすく、強い放射線が出ている危険物質、ウラン全体から、たった0.7%しかないウラン235を慎重に分離して材料として使うのですが、彦坂博士は、235とは違う、残りのまったく使い物にならないと思われている原子内部がわりと安定していて、放射線も出さずに強固で壊れにくいウラン238に目を付けて、非常に長く、危険がなく、安定したエネルギーを取り出す研究をしていたと言うのです。

もしそれが完成していたら、日本や世界は、無限に取り出せる安定したエネルギーを手に入れる事が可能になります。

五島勉さんは、欧米の研究者達が、核を爆発させようと研究している中で、たった一人彦坂博士だけが、平和利用という視点で考えていたと誇らしそうに書いていましたが、まったくその通りです。

五島勉さんの「日本・原爆の真実」の本の前半は、そんな彦坂忠義さんや仲間達の存在に、今も殆どの人に知られていない日本人の平和の心があった事を教えてくれたのです。

日本人の科学者の持っていた精神に、同じ日本人として誇りを持たせてくれたのです。

原爆開発は、昭和天皇の命令により中止された。

そしてそこで、五島勉さんは、自分が求めていた日本の原爆開発の隠された真実の決定的な資料を見つけると驚いてしまいました。

 それが、杉山元帥から盟友の岩田幸雄にだけに託されたある話なのです。

 というのも岩田幸雄さんは、大戦中、日本最強の情報機関を作って活躍した人で、世界各国の原爆開発の状況を命懸けで探り、その実態を写した極秘フィルムさえ入手しています。

 その情報から、杉山元帥は、世界の動きを知り、日本の原爆開発を進めたのです。

 だから杉山元帥は、日本の原爆開発が中止になった時に、岩田幸雄さんだけには、その真相を明かしています。

 日本の原爆開発に目処がつき、いよいよマリアナ諸島やハワイに原爆投下作戦を実行しようと計画し、喜んで貰えると思って、東條英機首相と二人で、昭和天皇に奉上しにいった時に、昭和天皇から承認して貰えなかった。

 意外にも昭和天皇は、完成間近な日本の原爆開発を、世界的な視点、世界平和から考えて、中止するという、誰もが驚くべき決断をしたというのです。

 何故なら、その時に、東條英機首相と杉山元帥の話を、昭和天皇は静かに聞くと「数カ国がその新兵器開発を競っているとの事だが、日本が最初に開発し使用すれば、他国も全力を傾斜して完成させ使ってくるようになるであろうから、全人類を滅亡させる事になる。それでは、人類絶滅の悪の宗家に日本がなるではないか。またハワイに投下する計画との事だが、ハワイには、日本の同朋が多数移住し、現地民とともに苦労し今日を築きあげたところである。そのような場所に新兵器を使用することには賛成しかねる」と反対しているからです。

 しかも五島勉さんは、その時の昭和天皇は、まったく原爆と言う核兵器の存在する意味を理解できなくて答えたのではなく、反対に原爆の存在の意味、威力を、世界の指導者の中で、ただ一人明確に理解していたといいます。

 というのも昭和天皇は、1944年の春頃、まだ日本の原爆が必死に研究していた時に、誰に聞いたのかは分かりませんが、「理研」に行って、仁科博士を訪れ、「ウラン爆弾」について博士から直接説明を受けているからです。

 その時に昭和天皇は、原爆の持つ威力の凄まじさを知りました。

 それが証拠に、昭和天皇は、仁科博士を訪れた後、異例の形で、手紙を書いて質問をしています。

 原爆の持つ本質や、核の前途に、昭和天皇は、確かめたい事があったのかもしれないのです。

 ですからそんな昭和天皇の見事な決断に恐れおののいた東條英機首相は、日本の原爆開発を中止すると、そのまま首相を辞任し、それでも昭和天皇の為に、諦められずにいた杉山元帥は、開発を続けさせていましたが、開発していたミサイルの事故が起き、それを知った昭和天皇に呼び出され、「まだやっていたのか」と強く諌められたというのです。

 それでさすがに杉山元帥も、それ以上は進められず、日本の原爆開発は完成間近で中止になっています。

 岩田幸雄氏は、そんな驚くべき真相を杉山元帥から聞かされ、「かくも天皇の心を煩わせた責任をとって、日本が勝っても負けても、私は自決して陛下にお詫びする。お前だけには、民間人ながら日本の為に命懸けで情報集めてくれたのでいうが、他の誰にも絶対にいうな」と遺言されていたというのです。

 だから岩田幸雄氏は、戦後も、自決した杉山元帥との約束を守って、誰にもその事はいいませんでした。

 日本が原爆を開発しようとしていた事はふれられたくない事だったし、天皇が原爆の開発を止めた事を知ったら、戦争で日本の国の為に戦った多くの人に恨まれると思って、その真実を岩田幸雄氏は忘れようとしていたのです。

 しかし戦後、昭和天皇が予期したように、核兵器は、米国だけでなく、ソ連や中国、英国やフランスが持つようになり、いぜん核兵器の脅威の下にある現在の世界のことを思い知った高齢になった岩田幸雄氏は、やはりこの事は誰かに伝えておかないといけないと決心すると平和運動をしている盟友の河内正臣さんにだけに伝え、その昭和天皇の御心に感動した河内正臣さんによって、一部の人達に伝えられたのです。

 それを皆さんが信じる、信じないは別としても、日本の究極の終戦秘史であり、米国が日本の降伏の後、真っ先に調べ、闇の中に隠した真実なのです。
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana150.htm

 

 

2009年6月23日

 

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