イエズス会とグノーシス思想3
グノーシス思想では、救いは「知識」にある。
人間は知識を得ることによって救われる、と。
グノーシス主義では、この世は悪であり、それを創造した神も悪であるとする。人間もほとんどは悪でできているが、人間の中に存在する霊的な善の可能性を自分で認識することによって、救われるとする。
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これは、聖書的キリスト教以外の宗教に共通する自力救済の傲慢である。
グノーシスの影響を受けたイエズス会、そして、ローマ・カトリックは、このような自力救済を主張する。
イエスの契約的救済の御業に全的に依存するという姿勢がなく、黙想、苦行、善行などを強調する。
イエス・キリストを通じての客観的な救済の土台ではなく、むしろ、自分の善行や善性、知識に対する主観的満足が土台となっている。
このような教えの体系は、ヒューマニズムにも共通する。
結局のところ、聖書的キリスト教以外は、「どうです。神様、私だってできるんですよ。自分だけでなんとかやって行けますから、あなたの用意した救いの道などいりません。」という教えなのだ。
このような教えの究極的な欠陥は、「自分に頼ることができなくなったら破滅する」という点だ。
サタンは、他宗教の人々を人生の最後の最後まで騙し通す。
自分の力で生きていけると錯覚させるような事柄を随所に起こす。
たとえば、絶体絶命のときに、救いの手を差し出す。
しかし、人生の最後の最後になって、その手をさっと引っ込めるのだ。
後がない状態で肩透かしを食らわせる。だから、他宗教を信じる人々は、最後の最後にその宗教を捨てる。
死ぬ直前になって「あ〜、俺の人生はなんだったのだろう!」と嘆かせる。
その絶望がサタンにとってはこの上もない快感なのだ。
この世界では、聖書的キリスト教は人気がない。なぜならば、サタンが提供するものに満足しているからだ。
キリスト教と呼ばれるものでも、自力本願の教えに惹かれる。
マザーテレサがそのよい例である。彼女が人気があるのは、キリストを説かないからだ。彼女は死に直面するヒンズー教徒にはヒンズー式のお葬式をしてあげるという。
これは愛の業ではない。愛の業とは、唯一の救いの道であるイエス・キリストを示し、イエス・キリストにあって臨終を迎えさせることである。
「イエス・キリストだけが道である」という福音を説かないキリスト教はキリスト教でもなんでもない。
イエス・キリストを主、王、神として説かない根本的な動機は、自分の王国建設である。
自分の栄光、野心、領土、力、富を確立すること。
神の国ではなく、人間王国の建設。
これが、グノーシス―イエズス会―ローマ・カトリック―イルミナティの流れである。
この背後には、人間王国を作らせ、最後に自分が登場して、人類全体に自分を跪拝させようとするサタンの野心がある。
人間王国は実際はサタンの国であり、最後の最後にサタンが登場する。
神の国は、いずれ人間王国を破壊するだろう。
人間が支配する今の世界は、一時的な世界だ。
イエス・キリストは必ずクリスチャンを通じて、世界を奪還される。
2009年3月3日
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