学校制度は小物を大量生産するだけ
いじめを根絶するなんてことは不可能である。
なぜならば、いじめは人間の本性にあるものだから。
いじめの犠牲者を減らしたいならば、単位制にしろといいたい。
単位がそろえば卒業できるようにする。
学校も、教室も、教師も、学科も自由に選べるようにする。
本当のことを言えば、文部省なるものが教える内容を選別するというのも、信教の自由への侵犯である。
何を学ぶかも自由である。
人と会いたくなければ、通信制でもいい。
通信制で学科の内容を理解したら卒業できるようにすればいい。
先日、16歳で公認会計士に合格した青年は通信制の高校に通っている。
学校になんか行かなくても、人間は立派に育つ。
本田宗一郎、エジソン、松下幸之助。みんな学校など行かなかった。
いや、むしろ学校に行くことによって、かえって人間が小物になる。
友人からのプレッシャーによって、その子の本来持っているものが十分に発揮されない。
小さいときから、環境に適合することを強いられて、物事の本質を見抜く目よりも変な社交性を身に着けた子供などが増えてどうして日本が活力のある国になるか?
学校は行きたい奴だけ行けばいい。
教育は、国家の責任ではなく、親の責任だ。
親が責任を持ってしっかり教育しろ。
2010年11月26日
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