称名を回復すべきだ


聖書において名前は重要である。

ヤコブは、神の御使いと相撲を取った。

その際に、あなたの名前を教えてくださいと言った。戦いにおいて名前をつかむことは重要だ。

イエスは、悪霊を追い出す際に、相手の名前を尋ねられた。名前を知られた悪霊は追い出された。

我々の家にシロアリが出る場合、駆除業者はまず何をするだろうか。

巣を見つけようとする。

巣を見つけずに、やみくもに薬を家の中や周囲にまいても効果はない。

巣を見つけ、そこに薬品を投じることだ。

この巣を見つけるという行為が、称名である。

悪霊追い出しの際に、相手がどのような悪霊であるかをつかめ。

そのためには分析が必要だ。

大雑把に「神様、悪魔から救ってください」というのも間違いではないが、もっと効果的にするならば、それがどのような業をしてきたのか、どういうところを本拠地にしているのか、誰を通じて働いているのか、などを詳しく知らねばならない。

そして、最後に名前をつかむことができれば勝利も同然だ。

サタンは、神の御名を消したがる。

アレキサンドリア型写本からは、イエスの名が120箇所も消された。

イエスの御名が怖いのだ。

できるだけ「神の子」のような抽象的な言葉に摩り替えたいと思っている。

しかし、我々にとって力は、イエスご自身にある。だから、イエスという御名を唱えるべきだ。

称名には大きな力がある。

サタンはできるだけ称名を禁じようとしてきた。

アンテオコス・エピファネスという王は、ユダヤを征服した際に、御名を口にすることを禁じた。

エピファネスの支配が終了した後でもユダヤ人指導者たちは、新しい王に対して「続けて御名を口にしないよう法令を出してください」と頼んだ。

そのため、聖四文字YHWHがどのように呼ばれたのか分からなくなった。おそらく「ヤーウェ」が正しい発音だろう。

ユダヤ人はこのヤーウェという御名を唱えさせないために、「アドナイ」と置き換えることを行った。

だから聖書に無数に登場するYHWHはアドナイと読まれたのだ。

このようにして、神の御名は歴史から消されてきた。

我々はこれを回復しなければならない。

絶えず助けを求めるために、御名を唱えるべきだ。

キリストが「エゴー・エイミ」もしくは「エフイェ」(どちらも、「わたしは存在する」という意味)」という御名を何度も唱えられたので、初代教会においては称名が復活した。

だから、初期のクリスチャンは「御名を唱える者たち」(使徒 9・14)と呼ばれていた。

名のあるところに実体もある。サタンの名を唱えると、サタンがやってくる。

称名を回復することによって臨在を回復した教会には大きな力が与えられることだろう。(*)

(*)
ただしむやみに神の御名を唱えることは十戒で禁止されている。

「むやみに」という意味は、「自分の利己心のために」とか「不謹慎な気持ちで」ということ。

神の栄光を表し、御国の発展のために神の御名を呼ぶことは「むやみに」という表現にはあたらない。

 

 

2009年10月30日

 

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