「できない」と考える考え方にはサタンが取り付きます。
「現実的になれ」とは、サタンがよく用いる誘惑の言葉です。
私たちは、王です。
私たちは、復活の主にあって死に勝利できる。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。(マタイ16・18)
死に勝利できるということは、この世界のすべての問題に勝利できるということです。
サタンですら、我々には勝てない。
私たちが人生の中で不可能なこと、敗北するようなことがあっても、それは不可能でも敗北でもない。
全部ひっくり返るのです。いずれ。
全部利益に変わる。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8・28)
最終的に損失が全部利益に変わる株があればみんな買います。
クリスチャンの人生とは、そういうものなのです。
しかし、サタンはクリスチャンにこのような真理を悟らせないために、無千年王国論や前千年王国論などの謬説を流布した。
前千年王国説はこう言う。
「この我々の時代にあって、我々は勝利できない。すべて敗北する。最後には反キリストが世界を統一する。勝利できるのは、千年王国の時代になってからだ。」
無千年王国論者はこう言う。
「たしかにクリスチャンは王だが、それは、天上にいるクリスチャンだけだ。この地上にいるクリスチャンには勝利は約束されていない。この生涯と歴史が終わったらクリスチャンは勝利者になれるだろう。」
このような信仰は、信仰ではありません。
「今、この世において勝利できる。」という信仰でなければ意味がない。
「でも、tomiさん、現実を見てください。我々は失敗することが多い。そして、勝利できているクリスチャンなどあまりいません。今の時代は迫害される時代ではないですか。」と言う。
違う。
このような考え方をする人々は、神の勝利の方法を知らない。
聖書は、はっきりとクリスチャンはキリストとともに「法的に王になった」「法的に世に勝利した」と言われている。
だから、我々は「法的に王であり、勝利者である」。
つまり、この地上において、我々は法的な権利をすでに持っている。王権と勝利者の権利を持っている。未来の千年王国まで待つ必要はない。死ぬことを待つ必要はない。歴史が終わることを待つ必要はない。
今、この歴史内において我々は勝利者なのだ。
「えっ、実際にはまったく勝利してないでしょう。貧乏な人が多いですよね。極悪な人々が金持ちとして権力をふるっていますよね。」というかもしれない。
違う。
クリスチャンは法的な権利を得ただけであって、実際に戦わない限り、その権利は現実化しないのだ。
クリスチャンは、この歴史内において、戦うときに、勝利する。
戦えば戦うほど、次第に、クリスチャンの勢力が増して、悪の勢力を撃退していく。
それには時間がかかる。しかし、この世界は聖霊の支配する世界に必ず変わる。
なぜならば、すでに法的にクリスチャンは勝利者だからだ。
アパートの法的所有権を得た人は、そこに住む人々を立ち退かせて、新築にすることができる。
ねばってなかなか出ていかない人がいるかもしれないが、法的権利を持っているのだから、追い出せるのは時間の問題だ。
キリストが、「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(マタイ28・18)と宣言されたのだ。
いっさいの権威が、キリストにあって我々の手に移った。
だから、我々が戦えば、実際に権威を獲得できる。
こういった福音の力を、我々の指導者の世代は教えてくれなかった。
スポルジョンの時代にはそういう信仰だった。
進化論とディスペンセーショナリズムが広がって、カルヴァン主義者の間にも悲観論が広がった。
我々の曽祖父もしくは祖父の時代から、福音の力は減退した。
信仰の欠如によって。
我々の世代はそれを回復しなければならない。
進化論とディスペンセーショナリズムを追い出し、勝利の信仰を回復しなければならない。