クリスチャンは死なない。ただ住む場所が移るだけである
我々は、人生の終わるとき、日々老化するこの肉体を脱ぎ捨てて、ついに永遠に老化しない体を与えられる。
この世の人から見れば、クリスチャンもノンクリスチャンも同じ運命をたどるように見えるが、聖書的に見れる人はそうとらえない。
我々契約の中にいる人々、つまり、クリスチャンは、キリストと一体である。
我々はひとりひとりキリストの細胞である
それは、霊的にそうだというだけではなく、「体的にも」そうなのである。
細胞が互いに結び合って体を構成しているように、我々の体は、互いにつながれてキリストの体を形成している。
体について説かないキリスト教は、キリスト教ではない。
キリスト教は、「体」にこだわる。体の蘇りがなければ意味がないと唱える。
キリストが受肉されたのは、「体を贖うため」である。
我々の体が永続的な状態に達するためである。
今、人間の体は罪のゆえに裁きを受けることが定まっている。イエスは、その裁きを十字架上で身代わりに負ってくださった。だから、我々の肉体は神の審判から解放された。
それゆえ、我々の肉体は永続する。契約の中にいる人々は、契約の主であるキリストと同じように、復活する。
キリストが墓に入って、また出てこられたのと同じ運命がクリスチャンには待っている。
復活の日はいつか?
それは、我々のこの肉体を脱ぎ捨てるときである。
肉体を脱ぎ捨てるときに、我々は新しい体を与えられる。イエス・キリストと同じように、絶対に滅びない体である。
我々は、天のクリスチャンが住む場所に移る。
もし、天のクリスチャンに体がなければ、彼らは我々と一体ではない。
彼らにも体がある。その体は我々の体と一体である。キリストにあって互いに細胞である。
それゆえ、クリスチャンの死については次のように言うことができる。
クリスチャンは死なない。ただ住む場所が移るだけだ、と。
クリスチャンは死後すぐに体を与えられる
2006年7月15日
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