「囲いに属さないほかの羊」とは誰だろう?



「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。」(ヨハネ10・16)

ここで、「囲いに属さないほかの羊」とは誰だろう?

これを異邦人と考える人々がいるが、そうではない。

これは、失われた十部族である。

ここで「一つの群れ、ひとりの牧者となるのです」ということから、羊の群れとは神の家族、神の契約の集団を表しているのが分かる。

羊とは、神の契約のメンバー一人一人である。

ということは、それは異邦人ではありえない。旧約聖書において、異邦人は「羊」ではなかったからだ。

旧約時代、神の契約のメンバーになれたのは、ユダヤ人に限定されていた(異邦人でも改宗してアブラハム契約に入ることはできたが)。

イエスが異邦人の救いについてはっきりと言及されたのは、大宣教命令においてである。

「すべての国民を弟子とせよ」との命令は、「バプテスマを授け」「わたしが命令したすべてのことを守るように命令せよ」という内容である。

つまり、これは、旧約時代において「割礼を授け」「律法を守れ」に対応する。

イエスは、大宣教命令において、「異邦人を神の家族に招き、加えよ」と命令されたのだ。

これ以前においてイエスの宣教命令は、純粋にユダヤ人に対するものだった。

「しかし、イエスは答えて、『わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。』と言われた。 」(マタイ15・24)

「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。『異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。』」(マタイ10・5)

ヨハネ10・16において、イエスは、失われた十部族のことについて言及しておられるのである。

イエスがマタイ24章において預言されたように、イエスの昇天から神殿崩壊(紀元70年)までの間に、イエスは、全世界に弟子たちを遣わして、失われた十部族の人々に福音を伝えさせられた。

「人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」(マタイ24・31)

ここで「御使い」とは必ずしも天使を表さない。それは「伝令」「メッセンジャー」を表すギリシャ語が使われている。

事実ペテロやトマス、パウロなど、弟子たちは、バビロン、インド、中国等に行って離散ユダヤ人に伝道した。

選ばれた人々は信じ、イエスのもとに集まった(つまり霊的に一つになった)。

「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」(ヨハネ12・32)


ヨハネ10・16のイエスの預言は、紀元70年前に全世界のパレスチナにいるユダヤ人にも、離散ユダヤ人にも福音が伝えられ、イエスこそメシアであると信じた人々が信仰において集まることによって成就したのである。

ここでイスラエル12部族は回復したのである。(*)(**)



(*)
紀元70年をイスラエルの回復ととらえないプレ・ミレの人々は、イスラエルの領土預言をまだ成就されていないものと考えているため、イスラエル政府による武力的領土拡大に賛成している。

紀元70年において、イエス・キリストが世界の王になり、千年王国が正式に開始した時に、領土預言は解決したので、イスラエル政府がそれをまだ成就していないかのように暴力的に占領することにクリスチャンは賛成してはならない。

(**)
そこで、ある人は、「これですべて終了したのですか?」と問うだろう。

私は、これですべてが終了したとは考えない。

すべてが終了したと考えるのは、フルプレテリズムである。

もしイスラエルがすべて回復したとすれば、イエスの預言「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」(ルカ21・24)はどう解釈するのだろうか?

エルサレムは、紀元70年においても、イスラエルには回復しなかった。むしろ、その時を境に、異邦人に蹂躙され、その状態が1967年まで続いたのである。

「領土預言が成就したとすれば、この記事も成就したと考え、異邦人の時代は紀元70年で終わったとすべきなのか?」と問う人々に対して、私は、「ノー」と答える。

イスラエルの宗教(キリスト教)に、ユダヤ人本体が欠如し、異邦人だけが参加しているという状態は明らかに異常である。

神学の主導的地位は異邦人に握られている。伝道も握られている。

これは明らかに異常である。

「異邦人よりもはるかに接木されやすい」ユダヤ人が、つまり、元祖である人間が、家族のオリジナルのメンバーである人間が、家の中にいないのである。

「何か欠けている」と思わないだろうか。

そう、何か欠けているのである。異常な状態なのである。

ユダヤ人は神の家に回復しなければならない。

今の時代とは、カルヴァンが述べるように、千年王国のであり、過渡的な時代、「敵を掃討している時代」なのである。

これを最終状態とすることは不可能である。

 

 

2005年5月31日

 

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