先生と呼びたくないなら教会を出なさい
○○さん(牧師)を先生とは呼びたくありません、という人がいる。
それならば、彼は正式に教会を退会すべきだ。
彼を教師として尊敬したくないならば、出るべきだ。
なぜならば、その教会においてその牧師は教師として正式に認められているからである。
牧師として立てられているということは、感情や勢いなどで決まるようなものではない。
神の許しがなければ、絶対に教会で牧師などなれない。必ず、その前にストップがかかる。必ず御心ではないということが明らかになるような出来事が起こる。
だから、公的に牧師として任命されたということは、神によって立てられたということを意味するのだ。
そうならば、教会員は全員、彼を牧師として尊重しなければならない。
公的な人間に対しては、公的に接するべきだ。
もしその人間のことをよく知っていて、とてもではないが人間性に関して尊敬できない、先生と呼びたくない、というならば、教会を出なさい。
教会を出たくないならば、彼を罷免しなさい。ただし罷免するには、十分な証拠が必要だ。
単に、「人格的に見て未熟だ」ぐらいじゃ罷免などできない。
その牧師が重大な罪を犯しているのでない限り、教会員は牧師を公的な権威者として認めなければならない。
単に人格的に未熟だからというので、先生と呼ばないというならば、その人間は「自分のほうが彼よりも上だ」と考えているわけだから、傲慢な人間ということになる。
「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」(ローマ12・10)
もちろん、傲慢な人間は破滅する。
「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」(箴言16・18)
2005年11月25日
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