宗教右派と再建主義の区別をしっかりしよう


産経新聞(1997/04/20)に「キリスト教原理主義のアメリカ」(坪内隆彦著)の書評から引用:

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「キリスト教原理主義とはキリスト教の一つの宗派ではない。南部バプテスト(洗礼派)にも、エヴァンジェリカル(福音派)、ペンテコスタルにも宗派横断的に見られる信仰態度(運動)で、一言でいうなら、聖書の教えを文言どおりに信じ込んで、たとえば神の天地創造をそのまま疑おうとせず、人間はサルから進化してきたという進化論を決して認めまいとする態度である。
 フリーセックスやサブカルチャー運動の六〇年代リベラリズムへの反動として現れたということもあって、家族の重視などアメリカ的諸価値の復権、エリート主義に対するポピュリズム(大衆主義)、政治的には保守、白人中心主義に傾きやすい一種のレイシズム(人種主義)……と位置づけられる彼らは「宗教右翼」とも呼ばれる。その動きを無視して、現代アメリカ政治は語れないといわれるほどだ。特にレーガン政権は、彼らを取り込み、彼らの主張とパラレルだったといわれる。
 その後、さしもの原理主義も下火になったかに見えたが、じつはソフト路線への転換にすぎず、大衆への影響力はむしろ増しているというのが著者の見方で、そのことを「キリスト教徒連合」などの動きに即しながら論証する。「リベラル対保守、民主党対共和党」などとは異なる新たな視線が、アメリカ政治を分析するのに必要となってきたようだ。
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このHPで何度も批判してきたことだが、キリスト教に通じていない外部の人々が書評を書くとこういうものになる。

「聖書の教えを文言どおりに信じ込んで」、「神の天地創造をそのまま疑おうとせず」、「人間はサルから進化してきたという進化論を決して認めまい」というのは、宗教改革以来、キリスト教の伝統的な立場であって、ファンダメンタリズムに特有のものではない。

ファンダメンタリズムは、昔は改革派系(メイチェン)などもファンダメンタリズムと呼ばれていたので線引きが難しいのだが、今のファンダメンタリズムは、ディスペンセーショナリズムという19世紀前半に誕生した歴史的なキリスト教からはかなり逸脱した極端な立場をとっており、我々は彼らと一線を画している。

宗教右派の主流は、ディスペンセーショナリストたちであり、彼らは改革派系の再建主義者から「統治」の概念を借用しているから、再建主義までもがイラク戦争に見られる「暴力による覇権」を肯定していると受け取られている。

しかし、ラッシュドゥーニーやゲイリー・ノースの著書を見てもらえば分かるが、けっしてそういうことを言っているのではないので、評論家の方々は「自分の目で」「直接」資料に当たって欲しい。

「聖書を文字通り信じる」→「狂信的」という単純な理屈が成り立つならば、カルヴァンやルターも狂信的だったのか、ということになるだろう。そうすれば、ピューリタンも狂信的で、アメリカの国そのものも狂信者が作った国なのか、そして、その影響を濃厚に受けた日本国憲法も狂信者の産物なのか、近代資本主義も狂信のなせる業なのか、ということになる。

味噌と糞はきちんとわけよう。

ファンダメンタリズムは、ディスペンセーショナリストが主流であり、ディスペンセーショナリズムはプレ・ミレという終末論信じる。

アメリカクリスチャン同盟がブッシュ大統領を支持し、イスラエルを支持する大きな理由はこの終末論にある。

プレ・ミレは、「文字通り」イスラエルに神殿が再建され、そこから再臨のキリストが世界を支配すると信じている。だから、イスラエル政府が弱体化して、神殿が建つのが遅れるようなことにならないために熱心に活動しているのである。

しかし、再建主義者はポスト・ミレであり、「神殿とはクリスチャンの体を指す」と考え、このような「政治的な解決」を期待しない。

再建主義者は、あくまでも世界の民族が「伝道と教育」によって回心し、自発的に聖書に基づく政治体制を期待しない限り、強制力を行使して宗教国家を作ることなど望んでいない。

再建主義者の中にもラッシュドゥーニーらの教えを勘違いして「政治的解決」を期待する人々がいるが、誤解である。

ラッシュドゥーニーは、繰り返し繰り返し、「回心による心の変化がなければ解決しない。」と述べ「憲法はアメリカを救えない」と言った。

今日の宗教右派を誤らせている最大の責任者はパット・ロバートソンだろう。彼は、再建主義に影響を受けているが、プレ・ミレだけは頑固に捨てようとせず、政治的解決によって世界を変えようとしている。

今回のイラク戦争賛成は、彼らにとって大きな痛手であるだけではなく、「ファンダメンタリズム」とか「原理主義」という誤解を呼ぶカテゴリーに入れられたり、「保守的キリスト教」という名前でひとくくりにされて批判される再建主義者たちにとってもマイナスである。

しかし、HPをよく読んでおられるかたにはくどいと思われるだろうが、誤解が激しいので、もう一度はっきり宣言しておこう。

宗教右派やファンダメンタリズムは、ディスペンセーショナリズムを捨てない限り、我々とは同一ではない。

彼らの「統治主義」とは我々のそれとはまったく異なる。

誤解のないようにお願いしたい。

 

 

2004年5月20日

 

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