過去を後悔するのは、クリスチャンらしくない。
なぜならば、クリスチャンにとってすべては利益だから。
私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。(ピリピ1・21)
一番の不利益は死である。
財産をすべて失っても命だけは助かりたいと思うのが普通の人間である。
その命を失うことすら、利益なのだ。
じゃあ、すべてが利益ということになる。
病気、怪我、身内の不幸、失敗、倒産、解雇、失業、・・・
あらゆる「不幸」と呼ばれるものは、クリスチャンにとっては不幸ではない。
すべてが利益であり、我々のためになる。
だから、ああしてばよかった、こうしておけばよかったというのを止めよう。
全部プラスだ。我々のために神が利益にしてくださる。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8・28)
ソ連に暮らして2ヶ月目くらいに、本当に落ち込んだ。
夜がだんだん長くなり、ほとんど日が昇らない。
落ち込みはひどくなった。
落ち込むとサタンが過去のいろんな失敗を思い出させる。
ああでもない、こうでもないと後悔する。
サタンは我々の心に不安や恐れ、後悔の念を入れてくる。
精神が危うく崩壊しそうになった。
ぎりぎりのところで、神は救いの手を差し伸べてくださった。
ソ連に来た当初、ホテルのロビーで「これからどうなるのだろう」と思ったときに、「私はあなたを守る」という声が脳裏にひらめいた。
そのとおりになった。神はぎりぎりのところで救ってくださる。
周りには教会もクリスチャンもいない。自分の信仰が孤独の中で試されたはじめての経験だった。
同僚は、10人いた。彼らは様々な会社から派遣されてきた人々だ。みんなで同じ学校に通った。
クリスチャンは誰もいない。彼らは休日になると売春婦を買いに行くが、私はクリスチャンだということで仲間には入れない。だから、誘いに来なかった。
彼らの仲間うちでは内輪でいろんな話が進んでいた。
まさに孤立無援だった。
しかし、最後に神は救ってくださった。ロシア語の成績もよく、私のソ連滞在は非常に祝福された。ロシア人の教師や知人は、私のことを非常に高く評価してくれた。
この後もぎりぎりのところで救われる体験を何度かした。
経験から言えることは、「クリスチャンには絶望はない。過去のいろんな失敗もすべてプラスに考えるべきだ。」ということだ。
サタンは、我々の心に暗いものを吹き込もうとしている。
それを信仰によって追い払うべきだ。