外見は重要だ
クリスチャンで、ピアスをしたり、刺青をする人がいる。
「心が大切だから、形は関係ない」と。
しかし、聖書はそういっていない。
旧約聖書で刺青は禁止されている。
契約の民は、刺青をしてはならないと。
だから、刺青は非契約者、つまり、サタンの子供のしるしである。
今日、形そのものに宗教的意味はないから、絶対に刺青を消せとはいわないが、しかし、これから入れるというならやめたほうがよい。
刺青体験者は、刺青をすると何かが変わるという。
昇り竜などに目を入れないほうがよいという。
とかげの刺青をすると、とかげに支配されるという人もいる。
刺青は、サタン契約の象徴だから、何らかの影響があるとしても不思議ではないだろう。
ピアスは奴隷の象徴である。
奴隷が自由の権利を得たあとで、そのまま家に留まって主人の下で働きたいと願う場合に、耳に穴をあけてきりで突き刺す儀式をした。
だから、自由人であり、権威の最高位にいるクリスチャン男性はピアスをすべきではない。
クリスチャン女性は、男性の権威の下にいる。
独身のときは男親の、結婚後は夫の権威の下にいる。
その証拠として、女性は長髪にしなければならない。短髪の場合は、礼拝時や祈りのときに、権威のしるしとして被り物をかぶる必要がある。
長髪や被り物は、頭部を保護する働きがあり、女性は男性の保護を受けることを象徴する。
これは、女性蔑視ではない。社会的機能として男女の秩序があるということを述べているのだ。
これは、会社において部長と課長、平社員の区別をつけることが差別にならないのと同じだ。
さて、私は、今の教会で、ディスペンセーショナリズムによる律法と象徴の無視により、いろんな不調和なものが現れたのを見る。
不良の格好、汚い言葉。
悪魔は格好や外見をきっかけに巧妙に教会に自分の影響を広げようとしている。
2008年1月28日
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