フルプレテリズムが異端であることを一発で分からせる方法


フルプレテリズムが異端であることを一発で分からせる方法は、次の質問をすることです。

「もし、再臨が紀元70年にあり、万物がそのとき完成し、大宣教命令も成就し、悪魔が火の池に投げ込まれ、もはやこの地上において悪魔との戦いが不要になったのであれば、あと我々は何を目的に生きればよいのか?」

フルプレテリズムはこれに答えられません。

フルプレテリストは、パーシャルプレテリズムは根拠があいまいだと言いますが、フルプレテリズムのほうが根拠があいまいです。

フルプレテリズムを本気で信じるならば、宣教師とかはアホの極みです。もうすでにすべてが完成し、新天新地が到来したのに、なおも宣教しているからです。また、教会の牧師もアホです。

フルプレテリズムの行き着く先は、ユニバーサリズム(万人救済主義)であり、明らかに「キリストの贖いを無効化する異端」です。

「すべては完成した!みな救われている!悪魔はすでに滅び、我々は誘惑のない世界に住んでいる。霊的戦いもない。みな天国だ!」

こっちのほうがアホでしょう。

フルプレテリズムは、サタンが蒔いた毒麦以外の何物でもない。

いいですか、みなさん。

騙されないように注意してください。

聖書はすべて完成したなんて言っていない。

まだ歴史は残っており、悪魔との戦いも残っており、宣教も、大宣教命令も残っている。

聖書は一貫して、「法的完成」と「実際的完成」を区別している。

たしかに、世界は紀元70年に完成した。

万物は、「十字架によって神と和解した」(コロサイ1・20)。

クリスチャンも「よみがえり、天に昇った」(エペソ2・6)。

しかし、これは、「法的」な完成である。

「実際的な」完成はまだだ。

現代は、千年王国の時代であり、歴史の「実際的」完成に向かう途上だ。

実際的完成は、宣教による。人々がイエス・キリストを信じてクリスチャンになり、弟子となることにより、徐々に世界は完成に向かっている。

イエス・キリストは紀元70年に来臨されたが、「実際的な」来臨は未来にある。

その時に、完全な世界が到来する。

これ以外に、いかなる解釈があるのか。

反論のある人は、「聖書から」論じて欲しい。

フルプレテリズムの諸君も含めて。

 

 

2008年1月30日

 

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