字義的解釈と象徴的解釈の区別35
<Q>
人間の堕落についてですが。人間にはちりひとつとして、良いものは無い。全的堕落というのがカルヴァン主義の特徴ですが。サタンの場合は堕落とゆうのが適切なのか。それとも根元的悪なのか。御意見をお願いします。
<A>
サタンももとは完全な存在でした。
しかし、自分から堕落したので、徹底して堕落したのです。
他のものから誘惑されて堕落したなら救いようもありますが、自分から堕落したので救いはありません。
人間は自分から堕落したのではなく、サタンに誘惑されたため救いがあります。
サタンも堕落せず、人間も堕落しなかったらどんなに素晴らしい世界だったことでしょうか。
しかし、この世界の運命を決定するのは人間ではなく、神です。
人間もサタンも、神の栄光を表すための手段として選ばれたのです。
被造物は、創造者の決定について一切口をはさむことはできません。
サタンは、徹底して堕落しているので、神と人を憎む以外に動機を持つことができません。
神がサタンの意志を放置すれば、サタンは「必然的に」悪を行います。
人間もその自由意志を放置されれば、原罪によって堕落しているので、「必然的に」悪を行います。
神はサタンや人間のこの悪に落ちる傾向をコントロールしながら、また、ある人間を善のために選んで、彼らに善を行わせるために御霊を注ぐことによって、歴史を導き、ご自身の定められたストーリーに従って現実を一瞬一瞬出現させておられる。
神が永遠の昔に定められたストーリーがどのようなものであるかは、一日が終わったときに、振り返ることによって分かります。一日のうちに起こったことが、その一日に予定されていたストーリーだったのです。
善が行われた場合は、それは神が企画された善が起こったのであり、悪が行われた場合は、それは神が起こることをあらかじめ許可されていた悪が起こったということです。
神が能動的に関与しておられない事柄は何一つ起こりません。
この宇宙は完全に徹底して人格的な宇宙であり、物質的な運動法則ですら、神が定めた法則であり、自然の法ではありません。そもそも、この世界の中に自然というものは存在しません。いわゆる自然法則とは、神のしもべとして、いわゆる自然というものをコントロールするために備えられた道具でしかありません。
発電所の職員が普段は自動運転によって機械に任せているように、神は普段は法則に管理させておられるのです。
神の意志と無関係に働いているわけではない。
このように、根源という名前をつけることができるのは神以外にはいません。
サタンですら、神の意志以外で働くことはできません。
2007年2月11日
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