悔い改めは一度でよい
> 大切な真の神との対話に、毎日の聖書通読は欠かせられません。たくさんの思いを聖
> 書に当てはめていくことが私の人生行路であると思っております。しかしながら、こ
> の聖書の音信に触れるたびに、どうしても拭い去る事ができない若かりし頃の過ち、
> 忘れることができない大きな出来事が、頭から離れません。およそ二十年前、その頃
> お付き合いしていた恋人を妊娠させてしまいました。そして中絶。結局その後、彼女
> とはうまくいかず、別れてしまいました。しかしその後の便りでは、彼女は別の方と
> 結婚し、子供も何人かもうけ幸せでいるようで、少しは慰められています。しかし、
> 恋人をひどく傷つけてしまったこと、中絶してしまったことについて、詩編139:14
> −16のこの聖句を読むたびに、私は胸が締め付けられ、何年たってもどうしたらよい
> のか分からず途方にくれています。。日本のお寺では、水子の供養とかいったものが
> ありますが、しかし聖書的にはこのことについてどのような解決方法があるのでしょ
> うか。そして彼女と生まれてくるはずであった子供には、どのような希望と慰めが見
> つけられるのでしょうか。何か人生相談みたいで恐縮なんですが、どうぞよろしくお
> 導きください。
心痛をご察しいたします。
神様が貴兄に望んでおられることは、過去の過ちに心を痛めることではなく、前に向かって前進することです。
反省することは大切ですが、反省は一度でよく、後は切り替えることです。
主の御前に悔い改めて、キリストの血潮が自分の罪を洗い流して聖めてくださることを信じれば完了です。
すべて忘れてください。
サタンは何度も思い起こさせて精神をダメにしようとしていますので、罠にかからないようにしましょう。
生まれるはずのお子様は、神様の御手の中にあります。
私たちには分からない領域のことです。
ただ、ダビデがバテシバとの過ちの中で生まれ、夭折した子供について、ダビデは自分も死後同じ領域に行くと述べていますので、私は、神様の恵みの中に置かれていると思います。
「しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」(2サムエル12・23)
2004年8月31日
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