格差って悪なの?
私がこのHPで口をすっぱくして言ってきたが、まだまだ日本人は洗脳から解放されていない。
「小泉は格差を広げた!」と非難している人間たちよ。
どうして「格差は悪」なのかね?
どの業界にも、どの世界にも格差は存在する。
これは仕方がないのだ。
お笑い芸人でも、歌手でも、スポーツ選手でも、能力と努力によって差が生じるのは当然である。
それを全員の待遇をそろえようとすれば、つまらなくなってその国の芸能やスポーツは衰退する。
例えば、相撲において結果の平等をはかり、誰でも最後は横綱で終わるようにシステムを改変したらどうなるだろうか。
相撲という競技そのものが死ぬのである。
こんな結果のわかるスポーツなど誰が見たいだろうか。
人生で、成功者と失敗者に別れるのは世の常である。
しかも成功者はごく一握りしかいない。
ほとんどは失敗する。
野球少年が甲子園を目指しても、甲子園に行ける人間はごくわずかである。
甲子園に行った選手の中からプロ選手になれるのもごくわずかである。
プロ選手になって成功する人間はごくわずかである。
そのごくわずかな選手が、その他大勢の選手の給料を合わせた以上の収入を得る。
一匹の鯨と、千匹のいわしである。
これが世界の現実であり、その現実を変えるなど不可能である。人為的に変えようとすると、成功者から略奪する以外にはない。
これが、共産主義である。
しかし、成功者から略奪して、鯨の収入をいわしにばらまくならば、鯨がふてくされて、やる気をなくする。
鯨がやる気をなくすると、鯨も収入が減るから、いわしに回らなくなる。
全体がだんだん貧乏になる。
共産主義の国とは、「全員で幸せになろうとして、全員で不幸になる」愚か者の国である。
「じゃあ、いわしには希望はないのですか?」と問う人がいるかもしれない。
希望は、いわしの収入の全体を底上げすることである。
鯨から奪うのではなく、鯨を励まして、鯨の景気をよくすることである。
鯨が豊かになれば、鯨が人を雇い、安い製品を大量に製造できるようになるので、世界中から日本に金が集まってくる。
それによって、いわしの収入が相対的に上がって、気がつくと、世界で一番豊かな収入を一般人が得られる国になるのである。
これが、日本の戦後の歴史である。
日本は、自由主義経済のもとで繁栄を得ることができた。
日本の繁栄は、けっして富める者から略奪したからではなかった。
それは、かえって経済に水をかけることになった。
格差を是正するために、累進課税を強化すべきだなどと言う、とんちんかんな人々が日本の指導者、知識人には多すぎる。
「なんじ、盗んではならない。」
豊かさへの道は、この黄金律を守ることである。
金持ちだから盗まれてもしかたがないというような発想を捨てることである。
これは、マルクス主義の「ねたみの経済学」が生んだ幻想である。
金持ちであろうが、貧乏人であろうが、誰に対してでも盗んではならない。
日本の知識人たち、頭を切り替えなさい。
成功者に成功の果実を味わわせなさい。成功者から多くを取ってはならない。
格差が広がることを自然現象として受け入れなさい。
格差そのものが問題なのではない。
政治においても経済においても、人間を平等化することを最高の美徳と教え込んだのは、ヒューマニズムに毒された偽教師たちである。
聖書は、「格差はつきものだ」と教えている。努力と才能によって、人間の間に格差は必ず生まれる。
人間に与えられるべき平等とは、競争のルールの平等である。
競争に参加する人々に機会が均等に与えられるシステムが必要である。
努力した人々がその果実を十分に得られるシステムが必要である。
そうしないと、日本は共産主義国と運命をともにすることになるだろう。
2006年10月17日
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