エゴイストのキリスト教
名ばかりのクリスチャンと、本物のクリスチャンの違いは、この地上に対する態度によって分かる。
名ばかりのクリスチャンは、神の御心など本当は関心がない。自分が救われることしか関心がないから、地上的使命についてどうでもいいのである。
この地上は腐っており、この地上を変えることなど無理だという。
むしろ、この地上から救い出されることが大切だという。
これは、「地を従えよ。」との命令の完全無視である。
人間存在の根源的理由は、「地上支配」にあるのだ。
根源的理由を拒否したら、人間は生存していることに意味はない。
この地上を放って、ただ救いを待ち望むディスペンセーショナリズムのキリスト教というのは、キリスト教ではなく、異端である。
神を愛しているのではなく、自分を愛している人々の宗教であり、それゆえ、ナルチシズム教である。
もしこの批判に異議があるなら、反論してみなさい。
絶対に無理だから、誰も試みようともしないだろうが。(笑)
2006年8月3日
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