ビザンチン本文を復活させよう3


・・・ビザンチン優勢説は、新約聖書本文批評の他の理論や方法と異なっている。目的は、現存の写本基礎の間で証明可能な連続性もしくは広範囲に及ぶ存在を欠くオリジナルのテキストを再建することではなく、長い間失われていたと考えられているオリジナルのテキストを回復または復活させることでもない。原型的自筆文書の概念を希望なしとして捨てるべきだというわけでもない。

むしろ、ビザンチン優勢説は、ギリシャ語新約聖書の本文を正典として提示する。すなわち、それがかつて何世紀にもわたって写本記者によって証明され、保存され、維持されてきたのと同じように提示する。

この伝達的基礎は、ビザンチン優勢説の特徴である。ビザンチン優勢説は、公認された本文批評のガイドラインに沿って機能し、異文を評価する場合には、すべての適切な伝達的・筆写的・外部的・内部的考慮を利用する。内部的及び外部的基準は、健全な方法論にしたがってバランスよく機能する。

本文型の関係と傾向を認識し、本文評価の合理的な方法を実行する。新約聖書のもっとも可能性の高いオリジナルの形を決定する場合、外来の神学的要素を呼び出したり、押し付けたりしない。


ビザンチン優勢説は、折衷的な異文ごとの作業を行わない。むしろ、すべての異文単位の位置を伝達史の中で絶えず調べる。記者の既知の癖だけではなく、現存する写本と歴史的データにも照らして確率を評価する。

ビザンチン優勢説は、合理的な伝達主義を強調する。とくに、テキストの中で現れるとおりの、及び、写本自身が提供する外部サポートと関係するとおりの異文単位の連続に関して。

現代の折衷的理論は、この点で正確ではない。それは、一連の望ましい異文を作り出す。ときには、テキストの短い部分にわたって、いかなる既知の写本や版、原型においても存在が証明されたことのない異文を作り出すのだ。

ビザンチン優勢説は、そのような方法、そして、そこから生じる結果を非合法とみなす。なぜならば、写本伝達に関する妥当な歴史的要素を無視するからである。

現代の折衷的習慣は、写本どうしの合意の中で保存が決定されるというテキストの受容の方法に代わる物ではない。本文批評の実現可能な習慣には、現存の証言の間に存在する一般的な調和を乱さない伝達史が必要である。

現代の折衷主義が作り出した本文には、実現可能な伝達の理論が欠けている。ビザンチン優勢説が提示する本文は、首尾一貫した結論を提示する伝達理論に基づいている。このこと自体、ビザンチン優勢説の有効性を示唆している。

 

 

2010年4月5日

 

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