異端、異教、犯罪者の基本資質
麻原も植草も、往生際が悪い。
上祐は、かつて教祖を守るために嘘をついていたことをやっと今になって認めた。
彼らに共通する動機は、何が正しいかよりも、どうやって自分のわがままを通すかである。
はっきり言うと、麻原にとって「仏教思想」でなくてもよかったのである。彼にとって、仏教思想とは、自分の覇権を拡大するための道具である。
これは、ねずみ講式販売システムに似ている。「なべ」とか「ふとん」とか商品は何でもよいのである。会員を引き込んで法外な価格で売り込ませ、売上のかなりのパーセンテージを上納させられればよいのである。
キリスト教の牧師とか伝道師とかいってこちらを批判する人間にもこういう奴らが多い。
「じゃあ、議論しましょう」というと、いろんな理屈をつけて逃げる。たとえ議論の俎上にのっても、こちらの質問にぐだぐだいって答えない。もしくは、逆に質問攻めにすることによって回避しようとする。
彼らにとってキリスト教思想とは「これ以外に救いはない。これを除けば生きている意味がない」というようなものではない。何でもよいのである。自分の飯の種になるならば、何でもいいのだ。
だから、思想や教義の真理性そのものにこだわらない。
思想や教義が正しいかどうか、聖書的であるかどうかは、興味の範囲外である。
彼らにとって大切なのは、「自分をいかに気持ちよくさせてくれるか」という要素だけである。
この「快不快」の感情、「好悪」の感情こそ、彼らにとって絶対的要件である。
真理に額づくということがないのである。
これは、すべての異端、異教、犯罪者の基本資質である。
まともな人間はこういったくだらない生き方はしない。
2006年9月17日
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