コロンブスと日本
コロンブスの宗教観について大変興味深いページを発見しました。
彌永信美氏の大変優れた論文「<近代>世界とオリエンタリズム――ヘーゲル・内村鑑三・「近代の超克」思想を中心として――」です。
http://www.bekkoame.ne.jp/~n-iyanag/articles/orientalism/page1.html
この論文によると、やはり、コロンブスはエデンの園が極東にあると信じており、世界の最終段階に、極東を発見し、そこにキリスト教が広まると信じていたようです。
一方、クリストーバル・コロン(コロンブス)は、フランチェスコ会厳修派のヨアキム主義的終末論を堅く信じており、みずから「発見」した南アメリカ北部・ベネズエラ東沿岸のパリア湾に「世界一美しい土地」を見い出して、そこが『創世記』に語られた「地上の楽園」(「東方のエデンの園」)に違いない――あるいは少なくとも、人が近づきうるその最短距離にまで到達したと確信した(コロンは、いうまでもなく、彼の「発見」した「新世界」が「世界の極東」に位置するものと信じていた)。なぜなら、彼は「世界の終り」=キリストの再臨が百五十五年後に迫っていることを複雑な計算によって割り出しており、そのときまでに全世界が発見され、全人類が「真の宗教」に改宗しなければならないことを信じていたからである。コロン自身は、こうした「神の計画」の実現に寄与すべく、神によってその使命を定められた一人のしもべにほかならなかった……【『幻想の東洋』第十一章参照。】。
世界の全歴史は、いわば「東に上って西に沈む」太陽の一日の運行によって暗喩される(たとえば、十二世紀のサン‐ヴィクトールのフーゴーはこう書く。「神の摂理によって、時の始めに起こることは〔天地創造の時に『地上の楽園』が東に造られたのと同じく〕東に起こり、時が終りに向かって過ぎて行くとともに、ものごとの頂点は西へと移りゆくべく定められているもののようである」【『幻想の東洋』 p. 145 参照。――この「世界の歴史は東から西へと進む」という観念は、『ダニエル書』の預言に基づき、古代末期のキリスト教神学の中で成立した。同上書、p. 135-137 and n. 12 参照。】)。この場合は、歴史の始原は当然「東方」に位置し、(文明の)太陽は今、西の中天、または西の地平線近くにあるもの、と考えられる。しかし、この太陽シンボリズムによる世界史の暗喩は、必ずしも最後まで一貫するわけではない。たとえば、このようにして世界史の中心が「西方」に移った今、永く忘れ去られていた「東方」が「西方」によって再び発見される時が近づいている。そして、「東方」がこうしてあらためて見い出されたあかつきには(すなわち、キリスト教的な文脈では、全世界に「唯一の真理」=福音がいきわたり、全異教徒がキリスト教に改宗して、イエス・キリストが「遂に一つの〔羊の〕群のひとりの牧者[ひつじかい]となった」〔『ヨハネ伝』X, 16〕あかつきには)、「世界の円環」が完成し、その時、世界は絶対的な終りに至るのである……。こうした場合には、一種の「円環的時‐空間」のシンボリズムが、自然的な太陽シンボリズムを補完する役目を果していたと考えることができる。
あるいはまた、一五四九年一月、マラッカでフランシスコ・ザビエルと出会った日本人ヤジロウの口述に基づいた、ヨーロッパで最初の「日本事情報告書」がローマに送られると、それを読んだフランスの神秘家ギヨーム・ポステルは、ヤジロウの語る日本の宗教の中に真正のキリスト教が隠されていることを読み取り、その宗教の「シアカ」と呼ばれる教祖が、イエス・キリストその人にほかならないことを確信した。なぜなら、「世の終りがまさに到来するこの時にあって、神は、その御名と教義、儀式が『名ばかり』のものとなって残されている西の果ての民に、御名は忘れられても、生活そのものの中にその真実の教えが生きつづけている東の果ての民を、模範として示し給うた〔から〕である。『かくのごとくに彼らを配[あしら]うこと』が、神の測り知れない御意志だったのであり、それを読み解くことが、『第二のアダム』たるポステルに、永遠の昔から定められた使命だったのである」【同上第十六章、および p. 356.】。
2007年8月25日
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日本は永遠の楽園として十部族に選ばれたのでは?
コロンブスは日本にイスラエル十部族がいると信じていた