最後のわらを乗せるつもりか?


こういうサイトを開いていて思うのは、今のクリスチャンってのは、相当甘やかされていて、昔のような当たり前のことが通用しないってことだ。

質問して平気で、ため口をきいて、しかも、忠告までする。

忠告といっても、建設的なものなら受け入れられるが、ただレッテル貼りで議論も何もなく、単なる断罪でしかない。

断罪メールってのは、ノンクリスチャンならわかる。クリスチャンでも、ただROMをやっている人間ならわかる。

そうじゃないんだ。こちらのものを読んで利益を受けて、なおかつ質問までしている人間が、断罪メール出すってのに、もう世の中どうなってるの?っていう気持ちにさせられる。

医者や弁護士に質問して金を払わない人間はいないだろう。なぜならば、彼らは職業として認められているから。

このサイトのような活動は金銭目当てではないが、こっちだって霞を食って生きているわけではないから、毎日一定量の仕事をこなして自給自活でやっているわけだ。

毎日、メールでの相談、電話での相談がある。電話での相談には最低でも1時間かかる。国内からも海外からもある。

カウンセリングで立ち直っているのを見ても金銭を請求したことはない。

相手の良心に依存しているわけだ。

しかし、こういった恩知らずの断罪メールが来ると、「なめんなよ!」という気持ちになる。

そして、「最後の一本のわら」を載せられてろばが倒れるように、経済的な報いがほとんどないに等しいぎりぎりの環境で、これ以上がんばっていくということもかなりきつい。

何度も何度も神に「これ以上無理です」と言う毎日の中で必死に原稿を書いているということを、遊び半分で書いているように誤解しているOK氏などは理解してほしい。

(理解したくないなら「もういいよ。」ってことだ。)

 

 

2005年5月28日

 

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