御国への反抗や冷淡の末路
昔ある伝道者が、「私が牧師をしているころ、執拗に私に文句を言って苦しめる長老がいましたが、あるときポックリ死んでしまいました。」と言っていた。
むちゃくちゃなことをして牧師を困らせる人間、文句ばかり言って牧師の仕事を邪魔する人間、批判ばかりしている人間は、サタンに憑依されている場合が多い。
こういった人間が現れた場合は、牧師は祈ることである。自分から怒りにまかせて行動すると、教会がめちゃくちゃになる。
サタンは、怒りによって交わりを破壊することをもくろんでいる。
モーセは、この失敗をやってしまった。民が水を飲みたいとごねたのに怒りを燃やして先走ったことをしてしまった。
この失敗のゆえに、モーセは約束の地に入れなかった。
その手前でこの地上から取り去られた。
指導者の主な失敗とは、御心を聞かず感情にまかせて暴走することだ。
しかし、モーセの人生の大半は、問題があれば神に伺いをたてる従順なものだった。
さて、このように神の御心をうかがいながら行動していたとき、反抗者が現れた場合に、その反抗者はどうなっただろうか。
ことごとく裁かれたのである。
モーセに文句をいったミリヤムはらい病になった。
反抗したコラは、地にできた亀裂の中に落ちた。
反抗者の結末は地獄である。
御国に逆らう人間、御国のために働いている人間への妨害、嫌がらせ、中傷、反抗、敵意・・・
こういったことをやる人間の運命は地獄である。
永遠の炎で焼かれることである。
8千年、1万年たっても出てこれない。1兆年たっても炎で苦しむ世界で生き続けることである。
それだけの意味があることを彼らはやっているのだ。
御国に敵対するだけではなく、無関心であるということも同罪だ。
聖書において、積極的にならない人間の運命は永遠の暗闇である。
もちろん、これは地獄にほかならない。
もし聖霊を受け、神の救いの契約の中にほんとうに入っているならば、絶対に御国の活動に熱心になるはずである。
熱心にならない、熱くもなく、冷たくもないクリスチャンなどありえない。
イエスはこういった生ぬるい人間を「吐き出す」と言われた。
吐き出すとは「教会からの除名」である。除名とは、すなわち、「あなたはキリストとは何の関係もない人ですよ」ということであり、それは永遠の刑罰を意味する。
私の父親の教会において、牧師にことごとく反抗する信徒がいたが、若くして死んでしまった。
あれだけ牧師を困らせる人間が正常でいられるはずがない。
裁きは確実に下る。そして、その裁きは、我々が想像する以上に厳しいものだ。
2008年3月8日
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