謎解きが始まった
(1)
今少ない時間を利用して、四国に来ている。車の中で仕事をしながらである。
連絡橋を使って淡路島から徳島に渡って思った。
四国というのは、死の国と言われているそうだが、逆だ。
まったく楽園である。死国とは、おそらく死後の国、パラダイスという意味でつけられたのではないだろうか。
本州と比較しても緑が豊かで、温暖、連絡橋から観た徳島はまるで神話の世界だ。
美馬市の剣山まで険しい道を車で移動した。すれ違うことも難しい難路だ。
地図上では、近いと思ったが、山の中に入って驚いた。人里から50kmも離れている。
険しい山をいくつも越え、一歩間違うと300mはあろう断崖絶壁の谷底に落ちるかとひやひやしながら、移動した。
ここまで人里から離れた陸の孤島になぜ剣山はあるのだろう。
仮に契約の箱がおかれたという伝説が事実だとしても、あまりにも隔離が徹底している。
この地に住んでいる人々は、平家の落ち武者の子孫か、隠れキリシタンではなかったか。それとも、本当に契約の箱を守るために置かれたカラス(ケルビム)なのか。
後藤田氏は、美馬市の政治家である。いたるところにポスターが張ってある。
元首相の三木氏も徳島県板野町が地盤。
ちなみに、首相経験者や有力者にはなぜかユダヤ関係の古代の名士が多い。海部、羽田、三木、後藤田諸氏。
血なのだろうか。
この徳島の阿波という地名、何かありそうだ。千葉の安房とも関係があるそうだ。
阿波踊り、契約の箱の前でダビデが踊った踊りもあのようなものではなかったか。
四国という国、契約の箱伝説を除外しても、どうも神道の神輿と関係があるように思える。ちなみに、剣山のすぐ近くに見越という場所がある。
(2)
最近、韓国の学者も夫余族に注目している。
私は、天皇家は、夫余族の解夫婁(ヘブル)の子孫だと思う。
ある韓国人と議論する中で、最初は頑強に反対していた彼が、ついに日本とユダヤ人が強い関係にあることを認め、日本が韓国人によって作られた国ではなく、ユダヤ系騎馬民族夫余族によると言い始めた。
いずれ、高句麗、百済、そして、日本は、ともにユダヤ系騎馬民族によって作られたということが常識になるだろう。
江上氏のように、天皇一族が日本を統治しはじめたのが、4〜5世紀だというのは事実のようだ。
しかし、私は、これ以前からユダヤ人は日本に来ていたと考えている。それは、紀元前の話である。消えた十部族は、日本に入った。
そして、さらに、4〜5世紀以前にも、3世紀に秦氏が弓月国、そして、新羅を経由して入ったのだろう。
秦氏と解夫婁の関係はまだ勉強不足でわからないが、おそらくユダヤ人は波状的に何段階にもわけて日本を訪れていたのだろう。
どうしてこれだけ彼らは日本に固執したのだろうか。
おそらく、日本が彼らの居場所だったからだろう。
何かを極秘に隠しながら、時が来るまで、つまり、ユダヤ民族が回復するときまで、逃れ場として待機するという計画があったのではないか。
彼らは、わかる人だけがわかればよい、という預言者の手法を取り続けてきた。
彼らが仕掛けた国仕掛けは、霊の目を持ってでなければ解けない。
今謎解きが始まったように思える。
2008年12月15日
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