神が祝福する本当のキリスト教
「文明の中心がアジアに移っている」と私が主張すると、「何をもって中心というのか」、「そもそも中心なんてあるのか」と反論する人々が世界に多い。
これは、世界の人々が「文化相対主義」に汚染されているからである。
クリスチャンですら、この思想に汚染されている。
現代の流行の考え方は、「文化に優劣は存在しない。ある文化が他の文化よりも優れているなどということはない。すべて平等だ。」というものだ。
なぜこの考え方が生まれるかといえば、「価値に上下はない」という相対主義があるからだ。
なぜ相対主義があるかといえば、「聖書的価値観が崩壊した」からだ。
ヒューマニズムの浸透により、聖書的価値観は捨てられてきた。キリスト教が支配的思想だった時代には、何が正しくて何が間違っているかは聖書によって判断された。
しかし、ヒューマニズムが学校教育によって広まってからは、「何が正しくて何が間違っているかは時代と場所によって異なる。それは人々が自分の尺度で判断して決めてよい」ということになった。
なぜならば、ヒューマニズムとは「人間を法制定者とする」思想だから。
クリスチャンなら分かると思うが、これは「サタンによるアダムへの誘惑」である。
サタンは、アダムに対して「自分の判断基準によって善悪を決定する」ことを勧めた。
「神は本当にあなたにそういったのですか。でも、あなたは独自に考えてよいのです。神の基準を捨てて自分の基準で歩みなさい」と。
アダムはサタンの言うことを聞いたので、サタンの支配下に入った。アダムから生まれる人間は全員サタンの支配下にいる。
だから、自然にサタンの思想にしたがってしまう。
近代思想は、この「サタン思想」に基づいて築き上げられているので、クリスチャンが触れてはならないもの、汚れたものである。
触れてはならない、というのは研究してはならない、という意味ではなく、「信じてはならない」という意味である。
近代思想は、価値の相対を説く。しかし、クリスチャンは、聖書において示された神の価値観を守るべきであり、価値相対主義や文化相対主義を受け入れてはならない。
現代の学校教育は、価値相対主義によって毒されているので、クリスチャンは、この教育から離れるべきだ。
もし学校に行かせるしかない場合であっても、子供に補正教育をきちんとしなければならない。
しかし、一つ一つ補正するのは難しい。一番よいのは自分で教育することだ。
価値相対主義に毒された教育を放置するならば、クリスチャンは次世代を確実に失い、クリスチャン人口は次第に減っていく。
神の御心は、こうだ。
神は、キリストにおいて、クリスチャンにこの地上支配の権限をお与えになった。
クリスチャンは、勤労により財産を蓄え、それを子孫に残し、神の御国を広げるために用いなければならない。
そのためには、(1)クリスチャンから財産を奪う社会主義国家の体制を是正し、税率を10%未満におさえる政治改革をすること、(2)子供の教育を「御国建設」的な教育に切り替え、子供が信仰継承し、それにより財産継承もできるように訓練する必要がある。
この2つにおいて改革に失敗するならば、いつまでたっても御国は前進せず、それゆえ、世界の御国化という聖書的目標は遠のく。
今のキリスト教のほとんどすべては、ヒューマニズムを邪魔しないために改造され、(サタンにとって)無毒化されたキリスト教であり、それゆえ、滅亡が運命づけられたキリスト教である。
神はこのようなキリスト教のままであることを望んでおられず、世界の御国化を推進するキリスト教を確立し、繁栄させることを望んでおられる。
だから、再建主義は将来において必ず主流になり、世界はそれによって改革される。
これは、神の御心であり、ご計画であるから絶対に成就する。
2008年1月7日
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