体制反体制ともに同一の人間に支配されているから何も変わらない
学生時代、部室棟移転に伴う部室確保運動が左翼運動に乗っ取られたことがあった。
大学側は、サークル棟の移転を発表した。新しいサークル棟は手狭で、しかも、学生運動を取り締まる観点から、部屋を他の部と共用しなければならない。
これでは、他の部の声や音が聞こえて、集中できないから反対した。
我々はサークル連合会を作って、大学と交渉したが、左翼の連中が入ってきて運動が学生運動に変わってしまった。
彼らは巧妙に指導部に浸透し、そして、委員長になった。
彼らの背後には左翼活動家と左翼団体があった。
サークル棟運動は、単なるサークル棟確保の運動ではなく、まったく我々が意図していなかった結果、つまり機動隊の導入にすらなった。
我々は何が起こっているのか分からなかった。
今振り返ってこう思う。
これらの左翼活動家は、市民運動に入り込みそれを乗っ取ることによって、市民の権利獲得を意図的に妨害していると。
アメリカにおいて、反戦運動の幹部は、イルミナティによって支配されていた。
同じ事が日本でも行われているのではないだろうか?
つまり、市民運動をやっている連中も反対側の人間に支配されているのではないだろうか。
だから、いつまでたっても変化がないのでは?
今回のC型肝炎の問題で、政府から譲歩を得られた。こういったプラスの成果を一般の市民運動が得られなかったのは、市民運動を利用して自分のヘゲモニーを拡大しようとする既存の党やセクトの存在があるからだが、この党やセクトそのものが、実は大本において、支配者によるコントロールを受けていたとすればどうだろうか。
これが、いつまでたっても体制が変わらない理由なのではないだろうか。
我々は、利害が対立する者同士が戦っていると見ているが、実は、双方大本においてグルで、すべて茶番であるとすればどうだろうか。
ゲバ棒を持って戦っている学生も、その大本において支配者にコントロールされているとすれば。
実際、アメリカにおける学生運動はそうだった。日本においてもそうなんじゃないだろうか?
双方が大本において同一の人間に支配されていれば、体制が変わらないとしても当然だ。
2008年1月3日
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