日曜日じゃないと礼拝できない?2
日曜日を聖日と称するクリスチャンが多いが、新約時代において、ものそのものに聖俗の区別は存在しない。
旧約時代、律法において聖俗の区別が存在したのは、新約時代における「聖俗判定基準」を象徴的に示すためである。
たとえば、旧約時代において、食べてよいものと悪いものがあった。聖い動物と穢れた動物があった。
しかし、ペテロの夢の一件(使徒10章)でこの区別が撤廃されたことが明らかになった。
また、イエスは、「すべてのものは聖い」と断言された。
イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。(マルコ7・19)
きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。(テトス1・15)
その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)
きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。(テトス1・15)
2009年7月29日
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