人間による判決を受けることは非常に小さなことと思え


人を怖がってはならない。人を怖がると罠に陥る。


人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(箴言29・25)

悪霊は、恐れる人を追い詰めて奴隷にしようとしている。だから、悪霊が働いている人間は、弱い人間を探し、いじめようとする。

ある友人の職場には、誰もいないのに足音がする更衣室がある。
このお化けは、怖がると面白がってますます大きな音を立てるという。
しかし、平気な顔をすると、いたずらしなくなるという。

悪霊は、怖がる人間を探している。実体はまったく恐れるに足らないのに。

しかし、このような霊でもバカにできない。なぜならば、このような悪霊にとらわれて恐怖の奴隷にされている人がいるのだ。

もしあなたが、恐怖の奴隷にされているなら、コツは「実害ない。恐れない。」という態度を取ることだ。

平気な顔をすれば、いじめがいがなくなってあなたから去るだろう。

人間を恐れる対人恐怖については、聖書に対処法が記されている。

私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。(1コリント4・3)

対人恐怖から解放されるコツは、「およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです」と考えることだ。

人間の判決を大事にとらえないこと。

神の判決を恐れ、人間の判決を軽く見ること。

さきのお化けの場合と同じで、重視すればするほど、いじめはひどくなるだろう。

こだわればこだわるほど、罠にはまる。

人間の裁判を相対化することだ。神を見つめ、人間を見つめないこと。

昔、バイク旅行をしていた頃、仙台駅の前でたむろしている若者にからまれそうになった。バイクのハンドルをつかんできたが、まったく関係ないという顔をしたらすぐに手を離した。

もし「やばい。どうしよう。」とオドオドした態度をしたら、面白がって絡まれたことだろう。

気にしない、相手にしないという姿勢でいること。

 

 

2008年5月9日

 

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