明治維新の本質2
近代国家における「平等」の理念など絵空事である。
なぜならば、ある特定の組織に「無からの価値創造」権を与えていれば、その他はすべてのその組織の奴隷だからだ。
10人のメンバーがいる会を考えよう。
一人だけが「無から価値を創造できる」権利を持っている。
彼は、無から創造できるわけだから、実質的に「無限のアドバンテージ」を持つことになる。また、他の9名の会員は、「無限のハンディ」を背負うことになる。
核爆弾を持つ側と、武装解除された側が戦争をやるようなものだ。
不換紙幣とはこのようなものだ。
中央銀行側の労働は、紙とインクと輪転機を買うことぐらいだ。
その紙とインクで作られたものが、その労働とは桁違いの価値を持つことになる。
1万円札を作る費用はたかだか50円にも満たないだろう。
50円とすると、残りの9950円が製作した人に渡る。
こんな組織を許していて、何が平等だ?
我々は、制作費が50円だが、10000円の馬鹿高い商品を買わされている。
中央銀行を経営する側と、その他(国民)の力の差は無限大である。国民は、中央銀行の奴隷である。
このような気違いぢみた不平等社会が、ロスチャイルドが築き上げた近代国家なのである。
2010年5月26日
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