外国人が東京都の管理職につけるわけがないだろう
東京都の職員として採用された外国籍の女性を管理職として受け入れることを、都が拒否したことに対して、「合憲」との判断が最高裁で下った。
それに対して、原告の女性は「あわれな国ですね。日本に来て働くということは、ロボットとなるということです。人間としてけっして扱われない。国際化ということをどう考えるのか、それが今回の一つの指標となると考えていました。それがこの判決です。涙も出ません。」と述べた。
え〜っ! 管理職にしないことがロボット扱いしたことなの?人間として扱わないことなの?国際化されていないことなの?
冗談はやめてくれと言いたい。
外国人に日本の役所の管理職を任せられるはずがないじゃないか。
どの集団でもそうだが、集団はそれを自分の目的のために創設した人間の利益を代表しないヨソ者によって乗っ取られる危険をいつも孕んでいる。
乗っ取りを排除するために必要なのは、創設した人々の理念を共有しない外部の人間に指導権を与えないことである。
会社や役所で言えば、役員、管理職にしないことである。
もし役員や管理職になりたいならば、身内であることを証明しなければならない。
今回のケースで言うなら、帰化せよ、という話だ。
そうしないで、外国人でも何人でも、無差別に国の公的組織、たとえば、防衛庁の指導的な立場につかせれば、その人間が実際は外国の回し者であった場合、彼(または彼女)を通じて、国の防衛機密が漏れたり、防衛体制に重大な欠陥をわざと作られたりして、まともに国を守ることはできなくなるだろう。
教会戒規について、「聖書と異なる教えを述べただけで牧師を除名するとは厳しすぎる」という声を聞くことがあるが、異なる教えを述べる人間を管理職につけるならば、その教会は名ばかりのものになり、福音を伝え永遠のいのちに導くという教会の本来の仕事はなおざりにされるだろう。そして、その教会は、実質的に教会ではなくなるのである。
キリスト教は人を裁くことをしない、と考えている人々がいるが、聖書に記された理念を守るためには、人を裁かざるを得ない。
2005年1月27日
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