人はみな自分が蒔いた種を刈り取る


海外の掲示板などで、「神なんかいない。信じない。」という外人と話すときに、「嘘つきだ。」というと、「本当だ。そんなものいない。」とむきになって返って来る。

私は、こういうときに決まってこういう。

「あなたは、ひそかに『神様、助けてください!』と祈ったことがありますね。」と。

すると、必ず黙る。

人生の中で神様助けてください、と祈ったことのない人間など一人もいない。


なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。(ローマ1・19)

人間がどんなにかっこつけても、絶対に神の概念から離れることができないのは、

それは神が明らかにされた

からだ。

「神などいない!」と叫ぶその直後に、神はその人間を辱めるために、「神様、助けてください!」と叫ばせるようなことを起こされる。

神などいないとか、クリスチャンを馬鹿にするような人間には、神は相当きついジョークをかまされるのだ。

傲慢な人間には、その高ぶった頭をぎゅーっと押さえつけることを神はなされる。

だから、無神論者は、嘘つきなのだ。

彼らは、神が存在することをひそかに知っている。

自分が傲慢になると必ずそれを押さえつける力が働くことも知っている。

彼らがそれでもなお神はいないと言うのは、人は自分の内面について知らないだろうと思っているからだ。

しかし、我々は、御言葉から彼らのことを知っている。

彼らには、「神が明らかにされた」ということを。

神はいない、と叫ぶと、神が存在する証拠を目の前にはっきりと示される。

私の人生体験から言うと、傲慢になってそのまま一生終わりましたなんていう人間はいない。

みんな蒔いた種を刈り取っている。

自分が何をしたのか、によって、神はその人にその果実を食べさせられる。

この意味において神は平等だ。

だから、私は、傲慢な人にかかわらない。

「つぶしてやろう」なんて思わない。

神がすべてやってくださるから。

 

 

2009年11月17日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp