黙示録の裁きは近いのか?


> そこで、質問が2,3あります。
>  1)ヨハネの黙示録の終末論を現代のこの時代に当てはめるのは間違いですか?
>   近いうちに裁きがあると信じている人も多いですよね。特にペンテコステ派に?

近いうちに裁きがあるかもしれません。
しかし、それはヨハネ黙示録の裁きではありません。
ヨハネ黙示録20章以前に記されている裁きは、すでに紀元70年までに成就しました。
なぜかといいますと、ヨハネは、当時紀元1世紀に住むクリスチャンに向けて手紙を書いたからです。
私たちが手紙を書いた場合に、直接の読者が読んで謎なことを記しませんが、それと同じように、ヨハネも当時のクリスチャンが読んで理解できないことは記さなかったのです。
ヨハネは当時の読者に向かって「すぐに起こる」とか「読者よ悟れ!」と命令しています。
私たちは、この命令が彼らに向けられていると理解しなければなりません。
となると、黙示録の裁きはすでに当時に成就したと考える以外にはありません。
これは、聖書の正統的な解釈の方法「非私的解釈法」つまり「歴史的批評的解釈法」であり、その原則は、「聖書には、当時の直接の読者が読んで分からない記述はない」というものです。

当時の出来事と考えると、すんなり理解できます。
獣をローマ帝国とネロと解釈することによって、記述とぴったりと調和します。
http://www.path.ne.jp/~millnm/no42.html

しかし、このヨハネ黙示録の裁きではないですが、近々世界に裁きがあるかもしれません。
なぜならば、人間の悪い行いは、必ず裁きがあるからです。
悔い改めなければ、誰であっても、罪責が残ります。

裁かれないためには、2つの方法しかありません。

1.対神関係については、イエス・キリストによる身代わりの犠牲によって赦しを求める。
2.対人関係については、具体的な行為によって損害を補填する。

これを行わないで放置していると、いずれ罪責が限界に達して、突然裁きが訪れます。

「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6・23)



>  2)初代の神武天皇の正式名は『カム、ヤマト、イワレ、ビコ、スメラ、ミコト』は、
>    『サマリヤの大王、神のヘブライ民族の高尚な創設者』との意味ですか?
>  3)大和民族は、『ヤー、ウマント』で、神の民族ですか?
>    八百万の神は、『ヤー、オヨロズ』で、『神の、万の軍勢を伴った』との、
>    意味でしょうか?


さて、どうでしょうか。「カム」という語音に「神」という意味の言葉はありません。
ヘブル語を専門にやっている人が、これをそのように読めるならば、具体的にどのように読むのか知りたいです。

ただ、神武天皇をはじめ、天皇家が、北方騎馬民族夫余族の出身であるのは確かなように思います。

韓国の神話によると、日本は、夫余族の王様である解夫婁(ヘブル)によって作られたと解釈できそうです。

宰相の阿蘭弗(アラブ)が「天の神が私に降臨して、『吾が子孫がいずれ国を作るだろう。この地から離れなさい。東海に迦葉原(カバラ)という地がある。そこは五穀が良く実る。ここに都を遷すと良いだろう。』と言いました。」と解夫婁に進言した。その進言を受けて、解夫婁は都を迦葉原の地に遷都し国名を東扶余としたとあります。
http://www.millnm.net/QAE/59SAOtFBA66688379.htm
   
日本とは、ヘブル人が建てたカバラの国(神の知恵を伝授された国)なのではないでしょうか。

>   独立党の事は全面的に賛成ですか?

独立党については、賛成できる面とできない面があります。

賛成できるのは、様々な世界情勢分析です。

また、常温核融合に対する取り組みも興味深いです。

できない面は、ユダヤを敵として前面に出している点です。

ご存知のとおり、イルミナティ国際金融資本家たちは、悪事を行うときに、別のもの、とくに、自分たちが貶めようと考えている民族や集団の名を借りて行います。

日本人の大陸侵略と残虐行為、南京大虐殺などの話は、一部の傀儡に残虐なことをやらせて、それを写真に取り、尾ひれをつけて大々的に世界に報道したという裏があると考えています。

ロスチャイルドは、サバタイ派というユダヤ教から破門された異端を信じており、彼らをユダヤと同一視することはできないと思います。

たしかに、ユダヤ人には、異邦人を人間と見ない傲慢な党派的なところがありますが、しかし、ユダヤ人全体を敵に回すことは得策ではないと思います。

最近の情報では、リチャード・コシミズ氏ご自身が反ユダヤではないと言われたと聞きます。

もしそうであれば、大変うれしいことです。

あともう一点、政治運動になる場合に、共産主義には注意が必要と感じます。

我々の常識は、共産主義、社会主義、福祉国家・・・国が、国民のお世話をするという考えに汚染されています。

政治運動を本当に改革的なものにするには、この常識を崩して、「減税」、「小さな政府」、「民間主導」の原理を持つ必要があると思います。

 

 

2008年12月24日

 

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