日本の教会は自殺したいのか


神の国建設という聖書の観点から見れば、牧師とか宣教師、伝道師は、政治家や医者、弁護士などと同じくらい重要で基幹的な職業である。

私は、御言葉を扱う仕事は社会の基礎中の基礎であるから、あらゆる職業よりも重要であると考えている。

もちろん、資格的、本質的に、職業に優劣はないのだが。

しかし、社会機能的に優先度は違う。

社会は、思想を土台として成立している。社会の中心には思想がある。

思想に基づいて法律が作られ、教育が行われる。

だから、御言葉についていいかげんな社会は、サタンにまんまと騙される社会なのだ。

「若い牧師は勉強するよりも、伝道しろ」なんていうトンデモナイ教育が神学校にまかりとおった結果、教会にトンデモナイ教えが蔓延し、正統的な教えが逆に迫害されているざまである。

異端を重罪とみないことを寛容と誤解している思索力のない牧師や伝道師が増えた。

教えに対する攻撃は、社会の根幹に対する根源的な攻撃であり、それゆえサタンが最も力を入れている分野である。

ここが崩れたら、どんなに表面をとりつくろっても、崩壊は近い。

今社会が崩壊している原因は、人々が教えについていいかげんだからだ。

教えが間違ったら、伝道活動はほとんど無意味化する。

聖書の一字一句にこだわらず、新聞やニュースを見ながら黙示録を解釈するような「俗流」終末論がはびこっている。

愚かである。

教えに対して厳密さを求めないキリスト教は、キリスト教ではないのだ。

異端を重罪とみなさないキリスト教は、サタンの餌食である。

教えについて無頓着な社会は、崩壊に向かう社会である。

私がよく感じるのは、牧師や伝道師に対する蔑視である。

「若い牧師を指導してやる」みたいな長老が多すぎる。

とんでもない。

こんなふうに教職者を冷遇していたら教師不足によって日本のキリスト教は壊滅するだろう。

日本の教会は自殺したいのか。

 

 

2008年2月28日

 

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