プレ・ミレはカルトである
力を信じる人々は、根本的な誤解をしている。
力は、自律的ではない。力を働かせれば、自動的に事が実現するというわけではない。
力は、「御心と合致した場合にのみ」機能する。
このことを示す良い例は、ダビデとゴリアテの戦いである。
ペリシテの巨人ゴリアテに立ち向かった小柄な少年ダビデがわずかな石で勝利を収めた。
聖書が教える因果律とは、「信仰は力に勝利する」というものである。
力が強い者が勝利するのではなく、御心と合致した人が勝利するのである。
格闘技では、力のある者が必ずしも勝利するわけではない。
己の力に頼って傲慢になった選手が弱小の選手に打ち負かされることがよくある。
この意味において、プレ・ミレは、力を信じる「パワー宗教」であり、間違った教えである。
プレ・ミレの人々は、「我々が何をしてもサタンの強大な力の前に負ける以外にはない。再臨のキリストを待つしかない。」という。
今日のほとんどのクリスチャンがこの謬説に騙されてしまった。
クリスチャンにとって唯一の力の源泉である信仰が封じ込められているので、クリスチャンはまったくの役立たずになった。
目の前で悪がはびこり、戦争がやまないのに、何もできない。地の塩であるはずの彼らが塩気をまったく失ってしまったので、地は腐り放題だ。
彼らは我々に向かってこう言う。
「仕方がない。これらは終末の前兆だから。」
プレ・ミレは、不信仰者のための非常に巧みに作られた「逃避のシステム」である。
もし聖書がこのようなことを教えているとしたら、聖書やキリスト教やクリスチャンに一体どんな魅力があるのだろうか。
このような逃避的なフニャケタ教えを唱えている人々にどうして現実と戦っているノンクリスチャンが惹かれるだろうか。
私は、こういった逃避的な教えを信じている人々をクリスチャンとは呼ばない。彼らは聖書から自分の立場を論証することができない。
彼らはカルトである。
2007年7月5日
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