格差拡大は批判の理由にならない
(1)
TVに出てくるコメンテーターの反小泉政権の論理は、「所得格差が広がりつつある。社会的弱者に負担を強いる政治になっている。」というものばかりだ。
こんな論理がまかりとおるならば、永遠に日本から不満はなくならない。なぜならば、集団がいれば、かならずそこに格差は生まれるから。
どんなに優秀な(もしくは、優秀ではない)高校でも、テストをすれば必ず、抜群に優秀な生徒と、抜群に劣った生徒が出てくる。
大体の生徒は、正規分布のベル型曲線の真中の平均付近の山の中に入るが、曲線の両端付近に少数の生徒がいる。
現在、日本の貧困者は、世界の中で金持ちの部類に入る。大多数の途上国では、家にテレビがあるだけでも金持ちとみなされる。
相対主義的な批判をしてもはじまらない。
今の政府が間違っているのは、「貧困者に負担を強いて、格差を広げている」点ではない。
格差は避けられない。格差をなくそうとしても永遠に実現しない。
そうではなく、政府が間違っているのは、「貧困者にも富裕者にも同じ税率を適用していない」ということだ。
これは公平の原則にもとる。法のもとにおいて国民は平等のはずではないか?
(2)
政府は、今後の増税の目的は、福祉財源を確保することにある、といっている。
ホントウ?
国民は気付かなければならない。福祉は、増税を正当化するための都合のよい理由だということを。
「今、高齢化が進み、これから福祉を維持するためには、今の歳入ではやっていけません。だから増税が必要です。」と役人や政治家は言う。
国民は、「福祉のためならしょうがないか。」と考えてしまう。
しかし、実際は、この国において福祉国家とは、役人のための福祉の国という意味なのだ。役所では、手当ての項目を増やせる人間が「仕事のできる人」とみなされるという。
無駄な手当て、カラ出張、カラ残業…、こういったガラクタのためにパンパンに膨れ上がった歳出にメスを入れずに、なんとか歳出入バランスを保つには、と考えて出た結論が増税なのだ。
本当に福祉をやりたいならば、国主導ではだめだ。こんな大雑把な組織に任せると、フジツボのようにびっしりと利権を求める役人や業者がへばりつく。
福祉であっても、チェック機能が有効に働く市場に任せるべきだ。
「働きたくない者は食べてはならない。」(2テサロニケ3・10)
2006年1月15日
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