日本政府はイラク人質救出は行わないと前もって宣言すべし3
小泉さんは、日本をかつてのような安全大国にしたい、と言っているが、今の日本政府の「神学」を変えない限り無理である。
今の日本政府は、「犯罪者に愛と赦しを!」という救済観に毒されている。
しかし、この救済観と「安全大国」とは両立しない。
どちらかの命を危険にさらし、どちらかに恐怖を与えるしか方法はない。
犯罪者の命を危険にさらすのか、それとも、無辜の善良な市民の命を危険にさらすのか、犯罪者に恐怖を与えるのか、それとも、無辜の善良な市民に恐怖を与えるのか。
どちらの命をも危険にさらさず、どちらにも恐怖を与えないなどということはありえない。
首にナイフをつきつけた犯人の命を救い、彼に恐怖を味わわせないためには、無辜の市民の命を危険にさらし、彼に恐怖を味わわせる以外にない。
無辜の市民の命を救い、彼に恐怖を味わわせないためには、首にナイフをつきつけた犯人の命を危険にさらし、彼に恐怖を味わわせる以外にない。
「ケーキをすべて味わいたいならば、それをお皿の上に残しておくことはできない。」ということわざは真理である。
ケーキを残しておきたいならば、食べないことである。
ケーキを食べたいならば、それを残しておくことはあきらめなければならない。
ルール違反者を厳正に処罰しない試合ばかりやれば、Jリーグもプロ野球も人気はがた落ちだろう。
日本政府の神学は、「砂上の楼閣」の神学である。
死刑廃止運動なんか夢想家の議論に騙されてはだめだ。
神学的に賢くなければ政治家などやるな。
2004年10月31日
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