神を試してはならない



神の存在を叫ぶ男、動物園でライオンにかみ殺される (ロイター)

[キエフ 5日 ロイター] ウクライナのキエフにある動物園で、神の存在を唱える男性がライオンにかみ殺される事件が起きていたことが明らかになった。動物園関係者が5日に語った。

 その男性は「神が存在するならば、自分を救ってくれるはずだ」と叫び、ライオンのおりの中に進入。

 ライオンに歩み寄って行ったところを襲われ、かみ付かれて頚動脈を切られたという。

 動物園関係者によると、多くの入園者が集まる日曜日の夕方にこの事故は起きてしまったという。

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/ukraine.html

神を試してはならない。

こういう実験をして出てくる神がいるとしたら、そんなのは神ではない。

疑いを前提とした行動を神が認めるはずがない。

我々被造物は、「神はいるのかいないのか?」というところを出発点とするのではなく、「神は存在する」というところを出発点としなければならない。

疑いを出発点として、神に何かをさせようとすることは、神をオーディションにかけて審査するのと同じである。

人間が審査員のテーブルについて、神に歌ったり踊ったりさせ、メガネにかなったら採用するようなものである。

人間は神を審査してはならない。これは冒涜である。

神が人間を審査するのである。

デカルト以来、人間は、このようなオーディションをする権利を主張してきた。

神をも審査しようとする人間の傲慢は絶えず裁かれてきた。

 

 

2006年6月6日

 

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