丸投げのススメ
中高年の自殺が増えていると聞く。
問題を自分だけで背負いこむまじめな人が死を選ぶという。
もったいないことだ。
本当のクリスチャンは、問題を神に委ねるということを知っているので、自殺しない。
本当のクリスチャンは、人生の目標を「自分」に置かない。
4-50歳くらいになると世の中のことがだいたい分かってくる。
世の中の意味をつきつめて行くと空虚でしかないということも分かってくる。
若い頃は、無限の可能性が開けているかのように思っていたが、この時期になると幻想であることも分かる。
どんなに事業に成功して、ビル・ゲイツ並の巨大な富を獲得したとしても、人生でできることは限られている。
快楽を得たからといって、それが何?と言われれば沈黙する以外にない。
これが人生である。
人生そのものは空虚である。
目標を「自分の幸福や快楽」に置くならば、早々に限界を見て絶望したとしても不思議ではない。
人間は被造物であり、創造者によって「造られた」ものでしかない。
だから、人間だけで完結する世界を想定するヒューマニズムはもともと無理があるのだ。
人間は有限である。だから、人間を究極の目標とすると空しさしか残らない。
しかし、神を目標とすると、人生は無限の広がりをもつことになる。
なぜならば、神が無限者だから。
神は無限であり、神に信頼し、神のために生きるならば、自分の人生に無限の価値が伴うようになる。
そして、困難に直面しても、究極的な解決を自分でする必要がないので、行き詰まるということがない。
限界にぶちあたれば、神に丸投げすればよい。
「私としては出来る限りのことはしましたので、後はよろしくお願いします。」と言って、寝ることができる。
しかし、人間を究極者とするヒューマニストは、丸投げする対象がないので、自分ですべてを抱え込み、自殺するのである。
無限者を目標としなければ、ものすごい虚無か、重圧に苦しめられる人生になる。
解決は聖書の神を信じ、究極の責任を神に委ねることである。
2007年5月9日
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