ユダヤ人だけは世界の放浪者でいろ、とでも言うのか???



<OK>

「敵であるシオニストと私たちの戦いは、妥協の余地のない、まさに "神学戦争"なのである。」
「ユダヤ人たちが全世界に追放されたのは、神の意志によるのであって、彼らが神の律法を守らなかったためである。あらゆる苦難をへて、メシア(救世主)が到来するまでそれは続く。メシア到来によってのみそれが終わるのである。それゆえに、シオニストあるいはその関係機関が神を無視して世界中からユダヤ人たちに帰ってくるように強要するのは、ユダヤ人たちをいよいよ危険に陥れる"不敬の罪"を犯していることになる。」
「もしシオニストが神を無視し続けるならば事は重大である。ここ、すなわちイスラエルは地上で最も危険な場所となろう。」
 
<tomi>
これは、非常に的を射た発言だと思います。
聖書が主張しているのは、「ユダヤ人は神を捨てたので、捨てられた。」ということです。
イエスが、このことをマタイ24章において主張された。
ユダヤ人は、悔い改めず、イエスを十字架につけ、最後のチャンスを自ら捨てた。
そのため、ユダヤは滅亡した。
最後にマサダの要塞において、玉砕するまで彼らの問題意識は、倫理ではなく、政治にあった。
ユダヤ人は、自分たちがローマに支配されているのは力が弱いからだと考えた。
だから武力闘争に解決を見出した。
しかし、イエスは、「右の頬をぶたれたら左の頬を向けよ」といわれた。
抵抗運動をするのではなく、自分たちが屈辱的な目に遭っている原因が、「律法違反」にあったということを見とめて、進んで征服者に服従しなさい、と教えられた。
しかし、高ぶった彼らは、イエスの教えを拒否し、イエスを政治的なメシアと誤解して期待し、イエスが期待通りに動かないことを知るや一転して十字架につけろと騒ぎたてた。

今のイスラエル政府は、マサダの人々を英雄とあがめている。
これこそがイスラエル政府の本質だ。
つまり、2000年たってもまだ本質が見えていない。

今のイスラエル政府の「政治的解決」、ユダヤ人の「政治的・経済的世界征服」の野望は、みな聖書の解決法を否定したところに原因がある。

ユダヤ人が回復するために残された唯一の道は、「柔和な者は幸いである。地を相続するから。」とのイエス・キリストの御言葉である。

パレスチナ人への虐待によって、政治的闘争によって、武力によって、イスラエル国を作るという野望は必ず失敗する。

しかし、それでは、イスラエルの領土回復、イスラエルの民族的回復がすべて間違いか?というとそうではない。

なぜならば、神はイスラエルを選民としてまだ残しておられるから。

パウロが回復を祈ったように、イスラエルは霊的に、そして、肉体的にも、民族的にも回復する。

もしこれが事実でなければ、イエス・キリストの「すべての国民を弟子とせよ」との命令は、ユダヤ人だけには適用できないということになるのだ。

日本人がクリスチャンの国民になるのを目指すのと同様に、ユダヤ人もクリスチャンの国民になるように祈って働くべきではないか?

民族的回復には領土が不可欠である。日本人には日本列島という領土がある。

じゃあ、ユダヤ人には必要ないとでも言うのか???

シオニズム批判の決定的な欠陥は、「ユダヤ人を迫害されたさすらいの放浪者に永遠になれ」と実質的に命令することにある。

この点について反シオニスト、置換神学者は反論してほしい。

 

 

2005年5月21日

 

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