五十猛神によって祝福されている日本


伊勢の「伊」の字は「天地を調和させる人物」を表し、「勢」の字は、もともと「蘓」であった(これは蘇と同じ意味)。

つまり、「イエス・キリストは蘇られた」という意味。

だから伊勢はもともと「イソ」であった。

伊蘓=イソ=磯

磯宮という神社が伊勢にある。磯がつく地名はイエスと関係があると思う。

紀伊で林業の神としてあがめられてきた五十猛(イソタケル)の神は、「イエスの蘇り」と関係するのだろう。

おそらく「五十」はイエス・キリストを表しているのだろう。「十」の字が入っているのは、十字架を暗示しているのだろう。

五十鈴が、イエスを表すことからもわかる。

聖書において「五」は契約を象徴する数字である。神の契約は、5つの条件から成り立っている。(*)

だから、イソの音に五十という漢字を当てたのは、「契約と十字架」を表現するためかもしれない。

五十猛神は、スサノオの子で、樹木の種を携えて新羅からやってきた。


五十猛神(イソタケル)は、日本神話に登場する神。「イタケル」とも読まれる。『日本書紀』『先代旧事本紀』に登場するが、『古事記』に登場する大屋毘古神(オホヤビコ)と同一神とされる。素戔嗚尊(スサノオ)の子で、オオヤツヒメ・ツマツヒメは妹。

『日本書紀』、『先代旧事本紀』の記述から、五十猛神は林業の神として信仰されている。紀伊は古来より林業の盛んな地であったので・・・

素戔嗚尊とともに新羅曽尸茂梨に天降り、スサノオがこの地吾居ること欲さず(「乃興言曰 此地吾不欲居」)と言ったので、一緒に埴土船で渡って出雲斐伊川上の鳥上峯に至ったとある。五十猛神が天降る際に多くの樹木の種を持っていたが、新羅には植えずに全てを持ってきて、九州からはじめて大八洲国に植えたので、青山に被われる国となったという。
(Wikipedia)

聖書において、契約と木は密接な関係がある。

エデンの園において祝福と呪いは、「善悪の知識の木」と「いのちの木」という2本の木によって象徴されている。

また、律法において、むやみに木を切り倒すことは犯罪であった。

なぜならば、木は祝福の象徴でもあるから。

日本書紀において、新羅には木がなく、日本には木があるのは、五十猛神が種を新羅に蒔かず、日本で蒔いたからだ。

これは、日本が祝福された土地、契約の約束の土地、つまり、エデンの園であるということを示している。

五十猛神によって、日本は青々と木の茂る土地になった。

つまり、イエス・キリストにより、日本は祝福の土地になった。

そういうことを古典は暗示しているのではないだろうか。

(*)
1.超越と内在
2.委託
3.法律
4.賞罰
5.継承

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2009年11月1日

 

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